49日の謎が解けたとき

3月の終わり、昨年亡くなった母の納骨をした。 本家のお墓と、生まれ故郷とに分骨してねとの遺言だったが、彼女の故郷は遠いので次回の来日にまわし、今回はとりあえず本家のお墓のみ。プラス、庭にも一握りほど埋骨する。庭の主、ここに(も)眠る。母が(父かな・・?)丹精こめて育てたバラや椿が、これからもますますきれいな花をつけますように、と手を合わせる。 数えるほどしかない私の子育てモットーのひとつに、日本の儀式(特に死生観にまつわるもの)は、できる限り息子に体験させ、たくさん写真を残すというのがある。今回納骨には連れて行けなかったので、撮ってきた写真を見せながら行事の終始を説明する。 「うちはちょっと間に合わなかったけど、ふつうは49日でお骨をお墓にいれるんだよ」と私。すると、速攻「なんでそんな半端な数なの?」というグッドクエスチョン。 説明できず、慌ててググる。 初めて知った、49日の意味 人は死ぬと、7日毎に合計7回神様に裁かれる。生前のよろしくなかった行いをリストアップされる、減点式の裁判のようなものらしい。高ポイントで7回のお裁きをクリアしていけば、いい感じで次の世に転生できるが、ポイントが低いと動物や昆虫に転生してしまうこともある。故人をそんな目に遭わせないためにも、お裁きがある日には、この世の遺族が一生懸命お祈りをしてポイントを稼ぎ、あの世での減点分を補う。49日目は最後のお裁きの日で、故人はようやく進路も決まり来世へと旅立つ。で、その日に納骨をする、、ざっくり言うとそんな感じらしいよと説明すると、隣で聞いていたダンナと共に息子大笑い。「じゃあ、お通夜やお葬式でやったガッショー(=合掌)っていうのも、オーマ(おばあちゃん)のポイントのためだったの?」という息子の目は、まん丸だった。 異文化の習慣とは、時に突拍子のない冗談にしか聞こえないこともあるものだ。 あの世との距離 だが、死んだ人たちが行くあちら側の世界と、自分たちが生きているこちら側の世界の間で、かなり密なインターアクションが続くという非オランダ的なアイディアには、息子もまじめに驚いていたようだった。 死んだおじいちゃんやおばあちゃんが、自分たちのことを見守ってくれるだろう的な発想はここにもある。だが、故人の冥福は不確定だから、その助けとなるようこちらからもしっかりエールを送らなければならない、なんて考え方があるとは思いも寄らなかったらしい。 オランダとは全く異なるあの世との距離感や関係性を、私も改めて再認識した。 息子には、(とりあえず今のところは)そんな違いをうっすらとでも実感してもらえたら、今回の私のミッションはコンプリートである。 納骨の法要が終わると、「お坊さんさ、空になった骨壺と木箱はどうすりゃええんじゃ?」と父。「骨壺は割って燃えないゴミ」と坊様が答えると、「じゃあ、木箱は壊して燃えるゴミかいな」(父)「そう、その通り!」(坊様) この問答の話も、ダンナと息子にはかなりウケた。

新聞のデザインとは

新聞のデザインとは アムステルダムの話題に特化した日刊紙Het Paroolが、2年連続で世界のベスト新聞デザイン賞を受賞した。これは、毎年アメリカの「ニュースデザイン協会」が優れたデザイン性の新聞にあたえる賞で、同紙の知的なタイポグラフィと明快な情報の階層化を高く評価。今年は、ドイツのDie ZeitとアメリカのThe New York Timesと並ぶ受賞となった。2年連続受賞という快進撃の立役者は、2016年に同紙のリニューアルデザインを手がけたポーランド人デザイナーJacek Utko(ジャチェック・ウツコ)さん。ワルシャワに拠点を置く新聞デザインのエキスパートで、世界各国の新聞を手がけている。 そんな彼に、新聞のデザインとは一体何なのかを聞いてみた。 新聞のデザインとは、コンテンツのデザインのこと 「新聞のデザインとは、単刀直入に言えば、コンテンツをデザインすること」厳格な一貫性と豊富なバリエーションの両方が求められる新聞デザインでは、種類も重要度も全く異なる多数の要素をわかりやすく階層化していくための高度なオーガナイズ能力が求められる。同時に、文字が主体であるため、タイポグラフィを熟知している必要もある。そしてウツコさんが決めたデザインのテイストやルールに従って、日々紙面を作る各紙のハウスデザイナーとうまく意思疎通するための、高いコミュニケーション能力も不可欠なスキルのひとつらしい。聞けばきくほど、感性重視のビジュアルを生み出すデザイナーとは異なる仕事であることがわかる。大学で建築を学んだという彼の構築的思考は、この特殊な仕事に向いていたのだ。 「新聞業界は、世界中どこを見ても極めて厳しい状況だ。僕のクライアントたちも皆、新しい読者の獲得に必死。デザイナーとして求められるのは、決して見栄えのいい新聞を作ることではない。既存の読者はしっかりキープし、新しい読者を獲得する紙面を作ること。そして、可読性をあげて、一面から最終ページまで、ロジカルで美しいメリハリを持った流れを生み出すこと。そのために必要なストーリーの方向性やストラテジーをアドバイスすることもまた、僕の仕事のひとつだ」言ってみれば、彼は「新聞コンサルタント」なのである。 大切にしたのは、「折衷主義」というデザインスタイル Het Paroolのデザインの特徴は、エクレクティック。折衷主義だ。「アムステルダムに相応しい新聞とは?と考えた末にたどり着いた。自由でオープンマインド、クリエイティブ、アーティスティックといったこの街のイメージを反映したスタイルだ。これを体現するために、オランダの芸術家ピート・モンドリアンの作風からインスピレーションを得た画面分割と色使いを採用した」とウツコさん。モンドリアン調のリズミカルでモダンなテイストと、古典的な趣のヘビーフォントのロゴが織りなす知的なコントラストは、斬新な印象を与える一方で昔ながらの新聞の装いも色濃く残す。これが彼が狙った折衷主義だ。ちなみに、このロゴをデザインしたスペインのデザイナーLaura Meseguerは、自身のブログの中で「Tiempos Headline BlackとQuarto Blackという2つの文字スタイルを折衷したフォントデザインについて、”基本に返ること”をコンセプトにした」と語っている。実はこのQuarto Black、なんと1570年代初頭にフランダース地方でデザインされたフォントで、以来「オランダ的なテイスト」として広く愛用されていたらしい。 ウツコさんは、紙面に「余白を残す」ことも重要なルールのひとつとした。「適度な余白があると紙面は風通しがよく見え、結果としてオープンで自由、そして現代的という印象を生む」彼が考えるアムステルダムらしさは、こんな形でも体現されていた。 21世紀の紙の新聞に必要なものとは? 21世紀の紙の新聞のあるべき姿とは?ウツコさんは、そんな問いかけを繰り返しているという。「その前に、紙の新聞に存続する意義があるかを考えてみる必要があるのだが・・」と苦笑。究極のそもそも論である。その答えはまだ出ていない。「だがひとつ明らかななのは、紙の存続を考えるならば、デジタル版との明確な区別化は必要だ。掲載情報の区別化はもちろん、見た目や、情報を読むという”体験”にもだ。だからこそ、紙の新聞には古典的なタッチを残すべきだと、私は考えている」多くの読者は、50歳以上が主流。大半が60歳以上だとも言われる中で、若い読者の獲得は各新聞社の重要な目標のひとつ。だがこの時に「若者はモダンなものが好き」というステレオタイプに陥ってはいけないと言う。「調べてみると、若者は思いのほか古典的なものを好むことが知られている。だから、紙でもデジタルでも、若者向けだからといって、むやみに目新しいガジェット的なトリックを導入してはいけない」と、無策に若者にこびる姿勢にも一石を投じる。 Het Parool週末別冊版 オランダ人は、とにかく新聞好きだ! 世界各国の新聞をデザインする中で何か気づいたことはあるかと尋ねると、「オランダ人はとても新聞が好き」という答え。そして「とても頑固で会議好き」「各問題をじっくりと検証し、着実に歩むという印象だ。その時々に全員が次々と問題点をあげてくるので、なかなか前に進まないと思うこともあるが、反面非常にクリアでわかりやすい。その真逆なのかアメリカだ。ブリーフィングはスムーズで、皆が”ファイン”、”グレート”と繰り返す。だが最後にどんでん返しがおこって多くの問題が一度に浮上してくる」もうひとつ、「オランダやドイツを始めとする北ヨーロッパや北欧の新聞媒体は元気。アメリカや東欧は苦しい」という傾向もあるらしい。「だが、全体としては、厳しい状況の中でも顕著な進化が見られる。まだまだ新聞は存続できる!」と前向きに見ている。 1940年創刊の、レジスタンス新聞Het Parool Het Paroolは、ドイツ占領下の1940年、レジスタンス新聞としてスタートした。2004年からは、タブロイド判として販売されている。アムステルダムの地方紙だが、「アムステルダムのニュースが多い全国紙」という位置づけが浸透している。ちなみにParoolとは「暗号」や「モットー」の意味。発祥の背景を彷彿させるネーミングだ。

映画「ワイルド・アムステルダム」

3月15日売りのPENの巻頭ニュースでも紹介したが、3月1日からオランダ全国で上映されている「ワイルド・アムステルダム」という映画、とても面白かった! 人間とともにアムステルダムで暮らすさまざまな動物の生態を、スピーディーな映像とアップテンポな音楽で描き出した異色の自然ドキュメンタリー映画で、どのシーンも背景には見慣れた街並みが広がっていた。役名アバトゥトゥというおっとり系の猫が案内役をつとめている。 この映画の監督マルク・フェルケルクさん(写真):「都会という場所は、”自然”にとっては居心地の悪い場所だと考えられがちだが、動植物は想像以上にしたたかで柔軟。都市環境に適応し、賢く生きている。この映画では、人々の生活のすぐ隣で、こんなにもエキサイティングなワイルドライフが繰り広げられているという驚きを表現したかった。彼らもまた、あなたたちと同じアムステルダマー。この街はほんとうに多彩ですよ(笑)」彼の言う通り、180以上の国籍の人々が住む多文化都市アムステルダムは、約10000種の動植物が生息する生物多様都市でもある。オランダ全域に生息する動植物は約40000種と言われているから、その1/4もがこの街にも生息していることになる。そのうち約300種は、法で定められた保護種。世界の都市に先駆けて、長年生物多様性に力を入れてきた市当局の努力が、確実に功を奏している。映画を観る前フェルケルクさんに、「この映画を観たあとは街が違って見えますよ」と言われたのだが、それがあまりにもホントで驚いた。帰り道に見た街並みはとてもビビッドに見えたし、今までは気付きもしなかった街のディテールに目がいく。そして何よりも、以前よりも温かい眼差しで街を眺めるようになった。 PS EYE映画博物館始め、街の数カ所の映画館で英語版も上映している。機会があれば、是非アムステルダムで観て欲しい一本だ。

The Frozen Fountain

The Frozen Fountain ダッチデザインが好きでアムステルダムを訪れたことがある人なら、「フローズン・ファウンテン」のことはきっと知っているはず。1992年のオープン以来、ダッチデザインの殿堂であり続けるインテリアショップの老舗だ。そのふたりのオーナーのひとり、ディック・ダンカースさんが先週亡くなったと新聞に掲載されていて驚いた。67歳。事故だったらしい。 彼の友人であるデザイナーのピート・ヘイン・エークが、スクラップウッドで棺を作るそう。ピート同様、モノを無駄にするのが嫌いだったというディックさんに相応しい棺になることだろう。まだ駆け出しだったピートの作品を真っ先に買いに来てくれたディックさんとは、かれこれ26年来の友人だったらしい。 デザインへの愛情と冒険心溢れる、インテリアショップの老舗 フローズン・ファウンテンでは、ものを売るだけではなく、新人デザイナーを発掘して発表の場を与えたり、プロダクトの企画制作も行っていた。今では世界的に知られるオランダの大御所デザイナーも、無名の時代からいち早く紹介していた。そんな風にさまざまな形でオランダデザイン界に貢献してきたオーナーさんたちと言葉を交わすたびに、「デザインに対する愛情と冒険心」こそこの店のウリだと感じた。 残されたもうひとりのオーナーであるコック・デ・ローイさんは、NRC新聞の取材に対して、ショップは存続させると話している。ふたりはこれまでも定期的に、どちらかがいなくなってしまった後のことを話し合っていたと言うが、まさかこんなにも突然その日が来るとは想像していなかったに違いない。 私が記事を書いたり写真を撮ったりという仕事を始めたのは、’90年代後半のこと。ダッチデザインが一世を風靡していた頃で、ハイス・バッカーを始め、ピートやリチャード・ハッテン、テヨ・レミ、ヘラ・ヨンゲリウスなど、オランダのデザインレーベル「ドローグ・デザイン」の旗手たちのインタビュー記事を書き続けていた。今だから白状するが、当初私にはドローグ・デザイン特有のコンセプチュアルで哲学的な「デザイン言語」がちんぷんかんぷんだった。それでも仕事のためにと一生懸命見て、読んで、(そしてファンになって)、かなりの苦行の末にようやくかたことではあるけれど、デザイナーたちと共通の言語でコミュニケートできるようになったのである。そんな私にとってこのショップは補習校のような存在で、しゅっちゅうのぞきに行っては親切なオーナーさんたちに作品を解説してもらっていた。 2005年の取材では・・・ 随分前になるけれど、ディックさんのインタビュー記事を作ったことがある。その中で彼は、「家具や雑貨なんて所詮モノにすぎないが、どうせならポジティブなスピリットのあるモノに囲まれて暮らしたいよね」と言っていた。「常に”今”を語る作品を扱っていきたい」とも語り、「”今”は刻々と変化するから、僕らのコンセプトは据え置きでいいんだ」と笑っていた。 私の仕事場には、フローズン・ファウンテンで買ったものがたくさんある。これからも、大切に使い続けよう。

シベリアのクマと運河スケート

この写真は、3月3日に撮ったもの。 つい1ヶ月半前には、観測史上最も気温の高い1月24日を記録していたオランダ。でもこの10日ほどは一転して、シベリア寒気団の影響で寒い日が続いていた。シベリア寒気団は、「シベリアのクマ」とか「ロシアのクマ」とも呼ばれていて、運河スケートを楽しみにする人たちにとっては冬待望の来客。街の運河を管理する「ウォーターネット」も、水が凍りやすいように水門を閉めて流れを止めたり、ボート航行禁止区域を設けたりしていた。 そんな努力のお陰で、プリンセン運河の一部を始め各所に厚い氷が張り、街中がスケートリンクに変身。こんな風にアムステルダムの運河が凍ったのは6年ぶりだ。 3月3日には最高気温が0度を超えると予測されていたので、「今日が最後」とばかりに早朝から大勢の人たちが氷上に繰り出した。私も氷の上を歩いてみたが、子供達がとなりを走り回る度に足下がユラユラ〜。カメラを持っていたこともあって、早々に切り上げて陸上からの眺めを楽しむことに。 昼過ぎには予報通り気温もあがり、シャーベット状態になった箇所や水たまりも目に付くようになっていた。たまたま寄ったプリンセン運河沿いの文房具店の店長さんが外を指さして、「さっきあっちの方で60代の女性が水に落ちたらしいわよ。夕べだって、パトカーが”氷の状態は不安定なので氷上に乗らないように”とスピーカーでアナウンスして回っていたけど誰も聞きやしない。何年かに一度のことだから気持ちはわかるけど、やっぱり危ないわよね〜」と眉をひそめた。 夕方までには何人かが水に落ち、急患を搬送するヘリコプターまで出動・・・。こうなると予測しつつも凍った運河を素通りできないのは、スケート大国オランダの人々の悲しい(?)サガなのかもしれない。 (写真をクリックするとカルーセルになります)

Coffee Shop Knopes SA

ルクセンブルクはコーヒーの消費量世界一?

昨年秋、全日本コーヒー協会の冊子COFFEE BREAKの取材のために、ルクセンブルクに行ってきた。その記事の紹介を兼ねて、今回は少しだけこぼれ話を・・・。国際コーヒー機関の統計によると、ルクセンブルクは人口ひとり当たりの年間コーヒー消費量が世界一。2位のフィンランドのほぼ倍にあたり、1日に7杯以上のコーヒーを飲む計算になるのだとか。コーヒー好きというイメージはないこの国だが、実は知る人ぞ知るコーヒー大国なのである。 ルクセンブルクは、ドイツ、フランス、ベルギーに囲まれた小国。多くの世界企業が欧州の拠点を置き、170カ国以上の国籍の人々が住んでいる。住民の約47%が外国人で、首都ルクセンブルク市ではその割合が約7割にも及ぶ。全人口約59万人に対して、日々隣国からやってくる越境通勤者は17万人。とにかく極めて国際色豊かな国なのである。 ルクセンブルク市の街中を歩いてみると、今流行の「スペシャリティーコーヒー」の専門店らしきカフェはほとんど見当たらない。近年世界の各都市で人気の新しいコーヒートレンドは、ここにはまだ浸透していないように見えた。だがスーパーマーケットのコーヒー売り場をのぞいてびっくり!そのスペースは迫力の大きさで、私が普段オランダのスーパーで見慣れたサイズのざっと3~4倍はある。 種類も多く、ルクセンブルクを始め、ドイツ、イタリア、フランス、オランダなど、各国のコーヒーメーカーの豆がずらりと勢揃い。取材に応じてくれたルクセンブルク最大手のスーパーマーケットチェーン「カクタス」の広報によれば、「国際色豊かなお客さんのニーズに応えるために必須の品揃え」だ。 (下の陳列棚の写真に写っている、手前と左側の側面は全てコーヒーで埋め尽くされている) ルクセンブルクならではのコーヒー事情 同スーパーによれば、「ルクセンブルク人が特にコーヒー好きということはない」らしい。ではなぜ消費量世界一に?そのワケは、隣国との税率の差にあった。店で販売されているコーヒーに計上される付加価値税は、ルクセンブルクは3%だが、ベルギー6%、フランス5.5%、ドイツは7%。それに加えて、焙煎コーヒー1kgに対してベルギーは0.2486ユーロ、ドイツは2.19ユーロのコーヒー税も計上している。つまり、同じコーヒーでもルクセンブルクで買う方がお得ということになり、わざわざ国境を越えて隣国の人々が買いに来るのだ。そして彼らが購入するコーヒーもまた、ルクセンブルクの消費量として加算されている。 税率同様、コーヒーの味の好みにも国によって差があるらしい。「フランス人は深煎り、ドイツ人は浅煎りが好み。ルクセンブルク人はその中間」と、広報の人が教えてくれた。 パイオニアとしてこの街のコーヒートレンドを牽引している素敵なカフェも発見。そのオーナーたちの話もこちらで紹介しているので是非! 注:税率他数値は、2017年11月時点のもの photo © kiyomi yui

富士山と日本アルプスが織りなす絶景

富士山と日本アルプスが織りなす絶景 飛行機でも新幹線でも、乗り物の窓から美しい富士山の姿が拝めた時に「ありがたや〜」と思ってしまうのは、富士信仰の表れだろうか。 この写真は去年の11月の終わり、オランダに帰国する時に飛行機から撮ったもの。名古屋中部国際空港を離陸して間もなくだ。朝空港に向かう時から、こんなふうにぴりっと寒い冬の晴天には富士山がきれいに見えるはずだと期待していたが、まさか幾重にも連なる日本アルプスと共に神々しい姿を見せてくれるとは思わなかった。このへんの上空は何度となく飛んでいるが、こんな絶景は初めてだ。 この写真を撮ったのは、母が亡くなった3日後のこと。お葬式や火葬を済ませて息子と一緒にオランダに戻るところだった。母の名前も「富」で始まるせいか、これは1ヶ月半彼女のそばにいて最期を看取った娘(=私)への贈り物に違いないと思いながら、窓からの絶景を眺めていた。もちろんこじつけに違いないのだが、こういう時におこる全ての奇跡は死者からの贈り物と受け止めてもバチは当たらない。窓に顔を押しつけて、富士山が遙か後方へと消えて行くのを見届けた。と言うよりは、「富士山に見送られた」気分である。 顔をあわせればケンカばかりした母娘だったが、最期の1ヶ月半は、母のそばで本当に良い時間を過ごすことができた。これもひとえに、毎日家に来てくれていた在宅医療チームの人たちのおかげ。母の痛みのケアはもちろん、家族も疲弊することなく穏やかな気持ちで看病し続けられるようにと、親身に寄り添い続けてくれた。 核家族生活があたりまえの近年、子供が家族の死に目に立ち会う機会は少なくなっているに違いない。それでも私は、できることなら息子にも母の最期を見届け、オランダとは異なる「日本の死の儀式」をしっかり経験してほしいと願っていた。いざと言う時にすぐに駆けつけられる距離ではないので、実現できたことが半分奇跡に感じられた。 とにもかくにも、亡き母の「見事なお手前」のおかげで見ることが出来た富士山の絶景を、しっかりとカメラに収めた。

世界一、市民に愛された市長

世界一市民に愛されたアムステルダム市長、エバーハード・ファン・デル・ラーンが末期癌のため辞任。市民に永遠の別れを告げる手紙を発表した。

Vincent van Goghの風景

去年の夏のことだけど、ゴッホの足跡を辿る取材旅行に参加させてもらった。 雑誌PENの2016年11月1日号「ゴッホ、君は誰?」という特集のため。

ディア・アムステルダマース

ディア・アムステルダマース、悪いお知らせがあります 1月27日、ファン・デル・ラーン市長(1955)から市民へ宛てたオープンレターはこう始まった。肺がんが転移していて、「希望的になる理由が見当たらない」診断結果が出たという報告だった。そして責任をしっかりと果たせるように手配をしながら、「まだしばらくはみなさんの市長でいます」とあった。 ファン・デル・ラーン市長は2010年、スター的な雰囲気のあった前コーヘン市長の後任として就任。前任者のような華やかさはないものの、人々の声に公平公正に耳を傾け市民に寄り添う「父親」的な人物像で、人気と信頼を得ていた。 「アムステルダマー」とは、アムスっ子のこと。「ベルリナー」や「ニューヨーカー」と同じである。 ファン・デル・ラーンは、この街に住む全ての人々に「アムステルダマー」というアイデンティティを植え付け、育んだ。例えオランダ人ではなくても、この街で暮らし、社会と繋がる全ての人々を、親愛の念を込めて「アムステルダマー」と呼んでいた。 「ディア・アムステルダマース、悪いお知らせがあります・・」約84万人の市民に宛てたこのオープンレター、私も受取人のひとりとして心して読んだ。 (写真は、2014年のゲイパレードの会場にて。市民に混ざって、ビールを片手に見学していたファン・デル・ラーン市長)

移民一世、移民二世

移民一世、移民二世 久しぶりに会ったアジア系移民2世の友人と食事をしていた時のこと。 移民一世と二世の違いの話題になった時、「一世よりも二世のほうが苦労が多い」とその友人。ちょっと待って、聞いたこともない言葉をゼロから覚え、わからないことだらけの社会で生計を立てていく苦労も相当よ・・、その必要がない二世のほうが苦労が多いってどういうこと?と違和感いっぱいで尋ねると、答えはこうだった。 「一世が直面する問題の大半はプラクティカルなこと。移住する前にある程度予測していたはずだし、彼らには母国で育んだ確固たるアイデンティティがある。その上れっきとした外国人だから、よそ者として扱われても納得がいく。だがここで生まれた二世はそうはいかない。オランダ人でもあるわけだが、家の中では両親の祖国の文化で暮らしている。それはオランダ文化とは全く異質で、時には相反する。常にダブルスタンダードで暮らし、自分はどちらの文化からもこぼれ落ちていると感じていた。そのため、アイデンティティは幹がないままに育った。子供の頃、社会の異質な存在として扱われた時には、その体験を自分自身にうまく説明することができず、無関心でいることを体得した。その一方で、属せ切れない社会に対して、いつか自分の立ち位置をはっきりと見せつけて見返してやるという、強い”仕返し”願望を育んできた」 頭脳明晰で才能豊かなその友人は、仕事でも成功している。「運良く自分には、仕返し願望を社会的に認知された成功の糧にする手段があった。だが、もしも全うな仕事や活動に結びつくような特技や才能を持ち合わせていなかったとしたら、この強い願望をどんな形で発露していただろう・・・?」 程度の差こそあれ、二世にはアイデンティティの形成を複雑困難にする特有のメカニズムがあるというのが、その友人の体験に基づく持論だった。 個人の性格や能力、両親の経済状態や受け継がれた文化によって大きく左右するし、その要因の影響のほうが大きいかもしれないので、一束ねに語るのは危険。だが、そんな力学の中で育ってきた人のずっしりと重い「生の言葉」を聞いたあとは、この多文化社会の景色が違って見えた。

Polder landscape

ちょっと珍しめの鳥の写真を撮らなければならなくて、アムス市内の自然保護エリアをかけまわった日曜日の朝。

クリエイティブディレクターが提唱する「失敗のススメ」=エリック・ケッセルス

少し前、6月15日売りのPEN「クリエーターの愛用品」特集の記事をつくるために、クリエーティブエージェンシーKesselskramerの主宰者エリック・ケッセルスから話を聞いた。今回は、その時のこぼれ話。 エリックと言えば、世界中の蚤の市や骨董品店で見つけた昔のアルバムや写真から新たな物語を紡ぎ出す達人。それらは、”USEFUL PHOTOGRAPHY”, “IN ALMOST EVRY PICTURE”など、写真集シリーズとして出版されているほか、展覧会にもなっている。最近では、「アルバムビューテー」という家族アルバムをテーマにした彼の巡回展が、宮城県塩竃で開催されていたらしい。 世間に浸透しきった価値観を疑うことなく受け入れ、おまけにそれにがんじがらめになっていると「完璧中毒症」になってしまうと言うのがエリックの持論だ。その最大の弊害は、新しい価値観や世界観を生み出さないこと。そして挙げ句の果てに「不完全」なものに対する不寛容さを増長する。 長年、「もっと失敗しようよ」と言い続けてきたエリックが、その哲学をとてもわかりやすく、しかも(ブラック)ユーモアたっぷりのシャープな表現で綴った「FAILED IT!」(PHAIDON)という本を出版した(英語)。「失敗のススメ」とも言える一冊だ。失敗は、それを嘆くかわりにインスピレーション源にし、これまでになかったユニークなものを生み出していこう!と、歴史上の偉人たちの言葉を交えて説いている。「真のクリエーションのためには、大恥をかくことだっておそれるな!」という痛快な呼びかけに、背中を押される読者も多いに違いない。日本語訳も早く出るとよいと思う。 脱!完璧中毒症 Fail to Find Inspiration アートディレクターやデザイナーなど、クリエーティブな仕事に携わる人に向けて書かれたというこの本。各チャプターは、短い文章と写真で構成されている。 例えば、「巨大な指の襲撃」というチャプターでは、カメラレンズの前に指がつきだしてしまった写真シリーズを例に、一見「失敗」と思われるものの中に新しいポテンシャルが潜在していることを説いている。スマフォやコンデジで写真を撮る時、うっかりレンズ前に指が覆い被さっていたという経験はほとんどの人にあるはず。カメラが小型化するにつれて、このリスクも上がる。大きさや肌の色、構図もさまざまなピンぼけの指の写真をずらっと並べて見ると、なんだか別次元の現実が立ち上がっているようで妙にシュールだ。 ・・・このような写真は、近年消去されることはあっても保存されることは希だ。(中略)だが、パーフェクトではない写真というものは、あとになってはじめて、あながち失敗とは言い切れないことがわかる。それは「別物」の誕生なのである。・・・ 当たり前でないものを見る時のほうが、人のファンタジーは活発に働く。見る人の内面に何も起こさないまま、そこそこの心地よさとともに通り過ぎていくようなクリエーションは、エリックにとっては「退屈」なのだ。そして、「そんな退屈なものが良いといわれる世間の価値観も疑ってかかれ」とエリックは示唆している。 この本の紹介用にもポートレートを撮らせてねと頼むと、「じゃあ、まるで何事もなかったかのような顔して本は逆さまに持たないとね」とエリック。うんうん、そうしよう!と彼のデスクがある2階へ移動。さあ、とカメラを構えて数枚撮ったところで同僚ふたりが上がってきて、カメラを構える私を見つけてびっくり!私もびっくり!題して、「驚くふたりとエリック」

ミラーズ・アンド・ウィンドーズ

ミラーズ・アンド・ウィンドーズ 「ミラーズ・アンド・ウィンドーズ」(鏡と窓)とは、1978年にMoMAで開催された写真展の名前だ。原題は:Mirrors and Windows =American Photography since 1960= 写真を、自己の内面を写し出す「鏡」と、外の世界を探求する「窓」とに分類した興味深い展覧会だった(カタログしか見ていないが)。もちろん全ての写真を「どっち?」と決めるのは甚だ無理な話で、そういう分類は短絡的という批判もあった。だがなぜか、「ミラーズ・アンド・ウィンドーズ」というフレーズは脳の奥深くにインプットされ、私の物事の受け止め方に大きく作用するようになったのである。 25年以上前にオランダに引っ越してきてから数年は、ライデンという学生街に住んでいた。楽しいこともあったはずなのだが、それがほとんど思い出せないほどオランダ生活はピンと来なかった。 けれどもしばらくしてからアムステルダムに引っ越して来ると、あっと言う間にそれまで抱いていた違和感は吹き飛んだ。ちょうどその頃、私は晴れてバツイチとなり、そのついでに、と言ってはナンだが、オランダ国籍を取得した。利便性を考えてのことで、決して日本がいやになったからでも、オランダが前よりも好きになったからでもない。それに、オランダのパスポートを手にしたからと言って、全く「オランダ人」になった気はしない。だが、「アムステルダム」に関しては話が別だった。住民票をこの街に移し、起業して商工会議所に登録したとたん、むくむくと「私はアムステルダマー」(アムスっ子)という気分が高まった。当時のアナーキーなサブカルシーンや、寛容と過激さを包括したようなダイナミックな空気感と相性がよかったことに加えて、この街が私の「鏡と窓」となり、新しい世界を見せてくれると直感したからだろうと思う。 MoMAの展覧会のコンセプトとどれほど重なるかはさておき、この街のありようは内なる(社会的)精神性を如実に表しているし、街を覆う空気感は、激しく変化する世界を敏感に映し出す。気が付けば私は、常にこの街を通して世界を眺め、この街で描き上げた「世界地図」を手に旅をしているのだ。

世界初の同性婚から15年

15年前の4月1日、アムステルダムの市庁舎で世界初の同性婚の結婚式が執り行われた。この日、4組の同性カップルが婚姻届を提出。当時市長を務めていたヨブ・コーヘンが式を執り行った。2001年のオランダに続いて、2003年ベルギー、2005年スペイン、カナダ、2006年南アフリカ、2009年ノルウェー、スウェーデン、2010年ポルトガル、アイスランド、アルゼンチン、2012年デンマーク、2013年ニュージーランド、ウルグアイ、フランス、ブラジル、2015年ルクセンブルグ、アメリカ、アイルランドと続き、2017年にはフィンランドでも同性婚が合法化されるらしい。 2001年4月1日から2015年末までに正式に結婚した同性カップルの数は21330組。最初の2年は男性同士が、2009年以降は女性同士の夫婦が増えている。同性の夫婦も両親として養子をとれるし、どんな差別も違法であるから、オランダのLGBTはとても幸せに暮らしている・・・と思いきや、課題は山積みのようだ。 多文化社会とホモフォビア LGBTの人権擁護のためにさまざまな取り組みをするCOCという機関が発足したのは1946年。その昔はオランダでも罪人扱いされていたLGBTの人権をたゆみない努力で改善し、パラダイムシフトを起こしてきた。その功績は数え切れない。2012年、学校でLGBTに関する情報提供を義務化2014年、地方自治体は同性愛カップルの結婚式を執り行うことを拒否する人を採用しないことを決定オランダに来たイラク、イランからのLGBTの難民が、祖国へ送還されないよう配慮などなど、上記はほんの一例だ。ある統計によれば、1968年にはLGBTに対して批判的な見方をしていた国民は36%だったが、2008年には4%にまで下がった。 だが、寛容の国と言われるオランダでも、LGBTが誰からも、そして心から受け入れられるようになる日は来ないかもしれない。けれどもそんな夢のような理想を掲げる必要はないのだ。この多文化社会では、それぞれの文化が持つパラダイムが根本的に異なるし、時代に合わせてシフトしていくスピードや方向性も全く異なる。大切なのは、法律で平等を確保し、差別を禁じること。そしてそれがどれだけ自分の価値観と異なるとしても、法として例外なく律していくこと。言うのは簡単だが、COC発足から70年たった今でも、やはりホモフォビア関連の傷害事件はなくならない。 どれだけ一見単一文化に見えても、社会は必ず異なる文化から成り立っている。ましてオランダは、180カ国以上の国籍が混在する筋金入りの多文化社会だ。LGBTだけではなく、移民、難民、宗教、国籍等々の他、最近は収入の格差も大きくなり、「あなた」と「わたし」を区別する要素が社会に溢れている。それを摩擦や差別、極化へと発展させないためには、社会に相当な成熟度が要求される。まさに、茨の道を行くような進化が求められているのだ。オランダの大人達は(政治家も含めて)今、ほんとうに成熟した社会を目指しているだろうか?答えがあるわけではないけれど、ニュースを見ながらよくそんなことを考える今日この頃だ。 ウィキペディアに掲載されている地図を見ると、同性愛が重い刑、終身刑、死刑になる国も多い。どの国にいるのかが運命を分ける。そんなことを再認識してしまう。

アウトサイダー・アート・ミュージアム2

日本のアウトサイダー・アートにフィーチャーしたアウトサイダー・アート・ミュージアムの特別展で、ひときわ注目を集めたのは澤田真一の作品だった。とげとげがたくさんついたフィギュアの陶芸で知られる氏の作品は、2013年のヴェネチア・ビエンナーレにも出品されて、多くの人々を魅了した。一緒に見ていた人たちの足も彼の作品の前でぴたりととまり、皆しばらく微動だにせず見入った。そんな張りつめた空気を緩めるように、「日本のアウトサイダー・アートは本当に素晴らしいですよ」と館長のハンス・ローイエンさん。「Shinichi Sawadaは、自閉症のアーティストです。私も彼に会いに行きましたよ。制作に集中していたので、私の存在にはあまり関心を持ってもらえませんでしたがね」 澤田真一は1982年生まれ、滋賀県が拠点だ。ローイエンさんによれば、日本のアウトサイダー・アーティストたちの一番の特徴は、何かひとつのことを極めようとする意匠だと言う。伝統的な職人技のように、繰り返しの先にパーフェクションを追求しているのだ。「そんなクラフト的なパーフェクションが生み出すディテールには、とても日本的な美意識がある。それは、文化よりもさらに深くDNAに刻み込まれたものであると感じる」と言う。 クリエイティビティの源はなんなのだろう・・と深く深く考えさせる美術館。日本人アーティストにフィーチャーした特別展は11月まで。その次は中国の作家展が予定されている。カタチを与えられることを強烈に欲して生まれてきた目の前の作品に、「さあ!」と肩を叩かれたような(いい)気分になって(どんな気分だか・・)仕事場に戻り、これを書いている。この美術館は、3月17日にオープンする。 (写真:常設展、特別展を含む館内 © kiyomi yui)

アウトサイダー・アート・ミュージアム

オランダ初の、アウトサイダー・アート・ミュージアムがオープンする。 3月17日、ロシアのエルミタージュ美術館別館「エルミタージュ・アムステルダム」の一角に、国内外の名作アウトサイダー・アートを集めたオランダ初「アウトサイダー・アート・ミュージアム(OAM)」がオープンする。 これは、ハールレムにあるヘット・ドルハウス美術館、福祉ケア会社コルダーン、そしてエルミタージュ美術館の3者のコラボレーションで誕生したミュージアム・イン・ミュージアムである。他にも、アムステルダムのアウトサイダー・アーティストの作品を展示するギャラリー、コルダーンが運営する障害者のためのアートアトリエが館内に同時オープンする。 アウトサイダー・アートとは、アカデミックな芸術の訓練や影響を受けていないアーティストの作品を指すとあるが、その定義は難しいらしい。さまざまな障害を持つアーティストの作品も多く、「アウトサイダー」という呼び方にも社会的な議論があるそう。けれどとりあえずここでは、その辺の話は全て置いておくことにして・・・。 第一弾は、日本のアウトサイダー・アート展 ここに展示されている作品はヘット・ドルハウス美術館の所蔵品で、常設展と並んで半年毎に入れ替える特別企画もある。その第一弾は日本のアウトサイダー・アート展で、11月まで開催予定だ。 館長のハンス・ローイエンさん曰く「アウトサイダー・アートは、精神的、知的障害を持ったアーティストが中心に活躍する場と解釈され、芸術療法の延長とみられがち。だが、この美術館では、そういったコンテキストとは関係なく、純粋に芸術性の高い作品だけを集めている。今までオランダでは活発には開拓されてこなかった分野だが、近年注目度もあがっている。エルミタージュという格式ある美術館の中に併設されるということは、この分野の成熟にも役立つはずだ」。近年このようなアートに注目が集まる背景については、「真のクリエイティビティはどこから生まれるのか」という問いかけに関心が集まっているからだと言う。 3月16日に行われたプレスプレビューに訪れた人たちは、半分がアート関係や一般メディアのひとたち。そしてあとの半分は、福祉関係者や、自閉症、認知症などの専門誌の編集さんなどで、多角的な方面から関心が集まる美術館であることが伺われた。 続く

2月のストライキ(ナチス時代のアムステルダム)

2月のストライキ =ナチス時代のアムステルダム= 2月25日の11:00、アムステルダム中のトラムが1分間止まった。 車内放送からは、ファン・デル・ラーンアムステルダム市長の声。 「1941年2月25日火曜日の朝、トラムは走っていませんでした。乗務員たちは(ドイツ占領軍による)街の同胞であるユダヤ人迫害に対する抗議の意の表明としてストライキをしたのです。約1万人のアムステルダム市民が<2月のストライキ>に参加しました」 そしてこの1分間の停車が追悼のためであり、「2月のストライキ」が人のために立ち上がるという行為の象徴として街の歴史に刻まれていると説明。同日16:30よりヨーナス・ダニエル・メイヤー広場でこの記念式典を執り行うことも告知した。 同胞のために奮起した、アムステルダム市民 1941年2月のこの抗議運動には、公共交通機関の従業員や公務員、港の労働者たち、店員など約1万人が参加した。翌日にはヒルヴェルサムなどの他都市にも飛び火したが、大規模な抗議運動に驚いたドイツ軍はすぐにこれを武力で鎮圧。参加者には死者も出た上、多くの人々が投獄された。スト実施の中心人物も投獄され、後に処刑されている。 この抗議運動の直接の引き金となったのは、1941年2月22日と23日に起こった出来事だった。市内ユダヤ人地域にあるヨーナス・ダニエル・メイヤー広場に427人のユダヤ人男性が集められ、その家族らが抗議する中、ドイツ軍によって強制収容所へと連行されていったのだ。これに怒った市民たちが決起したのが「2月のストライキ」である。ナチス占領下のヨーロッパで、公に実施された唯一の大規模デモである。 毎年2月25日にこの広場で記念式典が執り行われているが、75年という節目を迎えた今年は国王も臨席。ファン・デル・ラーン市長自ら式典の告知・広報に尽力した。 積極的にユダヤ人狩りに加担した、オランダ こうして、一度は街の同胞のために奮起したアムステルダムだが、その後は一変してユダヤ人狩りに加担する動きが広まっていく。 オランダでのユダヤ人逮捕率は、他の欧州諸国よりも高かったらしい。ユダヤ人ひとりあたり7,50ギルダーの懸賞金をかけ、積極的かつ組織的に検挙していくオランダ人の協力的な態度を、ナチスは高く評価していた。ナチス占領下でこのようなシステムを導入していた国は他に例がなく、懸賞金と引き換えに逮捕されたユダヤ人の数は、1万人にも上ると推測されている(歴史家Ad van Liemptによる)かのアンネ・フランク一家も、このような動きの中で密告され逮捕されていったに違いない。 1944年の秋になると、懸賞金は40ギルダーに跳ね上がった。(当時の7.50ギルダーは現在の約47ユーロ。1944年当時の40ギルダーは242.55ユーロ) 「2月のストライキ」は、市長が言うように、他の人のために立ち上がる人道的行為の象徴であったと同時に、わずかな月日の間に街の空気を塗り替えた民意の豹変の証人でもある。 ストライキに参加した港湾労働者を象った記念碑がたつヨーナス・ダニエル・メイヤー広場には、近年2月22日、23日の強制連行の様子を記録した写真が常設されている。これらの写真は、本国への報告のためにナチスが撮影したもの。写真現像の発注を受けた市内の写真屋がこっそりとプリントしていたものが、現在に至るまで”迫害の歴史の証”として保管されていたのである(国営放送ドキュメンタリー「De stakende stad」より)。 (c) studio frog

Villa Augustus

オランダ南部のドルドレヒトという街にあるブティックホテル「ヴィラ・アウグストゥス」。 (写真をクリックして拡大して見てみてくださいね)

MONO JAPAN

今日から2月7日まで、アムステルダムのデザインホテル「ロイドホテル」で、日本のデザイン、工芸、アートを展示するMONO JAPANというイベントが行われている。

運河の大掃除

2016年が、皆様にとってよい年となりますように! 今年もよろしくお願いいたします。 よい一年の幕開けに欠かせないのは年末の大掃除。 アムステルダムの運河でも、恒例の運河清掃が行われていました(写真は2015年12月15日に撮影したもの)

映画「みんなのアムステルダム国立美術館へ」に登場する仁王像のふるさと 2

<前ポスト> 古文書によれば、岩屋寺の創建は8世紀にまで遡ると言う。由緒ある真言宗の寺で、廃寺になっていなければ、少なくとも国の重要文化財にはなっていただろうと思わせる、険しくも美しい佇まいだ。アムステルダム国立美術館が「珠玉」と誇る立派な仁王像は、この寺の番人だった。(フォトギャラリーの終盤5枚に写っている木造の小屋が「仁王堂」) 映画の中で国立美術館学芸員のメノーさんは、仁王像の入手までの流れについて「なんだか曖昧で奇妙な話があった」と言葉を濁して多くを語っていない。 昭和40年代後半か50年前後、この2体の像は忽然と仁王堂から姿を消した。「昼間あんな大きなものを動かしていたら目立つから、夜中こっそりと持ち出されたんだよ」と言う地元の長老の話を聞いていると、なぜメノーさんがあんな風に言葉を濁すのかがわかった。なんともやるせない事情で、村のみんなが「国宝級」と崇めた仁王像は、二束三文で売却されてしまったらしい。つい最近になるまで、アムステルダムの美術館にあるなんて村の人たちは知らなかったよ、と長老。駅の待合室で話を聞かせてくれていた彼に、PCに入れておいた開眼式の時の写真をお見せする。「2体ともアムステルダムにあるのかい!?」と驚く彼に、国立美術館の目玉のひとつとして、来館者を喜ばせていると伝える。「仁王堂の中にあった時は、暗かったし、下から大きく見上げるようにしか姿を拝めなかったから、こんなにちゃんと全姿を見たのは初めてだよ。やっぱり立派だねぇ。返して欲しいねぇ。だが、ここに戻ってきても誰も管理はできないから、美術館で大切にされているのが一番いいんだろうねぇ」 その昔、あの寺は賑わっていた、と長老は振り返る。「お祭りの時には、本堂へ続く長い石段の両脇に出店がたって、そりゃあ賑やかで楽しかった」。その石段には今、空になった蜂の巣や、落ち葉が積もっていた。だが本堂の横には随分と新しいほうきがたてかけてあり、時々掃除に来ている人がいるようだった。 美術館には、世界中の宝が集まっている。けれども、時折「なぜここに?」と考えさせられてしまうものにも出くわす。この仁王像もそのひとつ。お金が動いて、美術品が流れる。シリアやアフガニスタンに行けば、無情に破壊されてしまう文化遺産がたくさんあることを思えば、芸術鑑賞を愛する先進国の美術館で大切に所蔵されるならラッキー、と言えるのかもしれない。 それでも、深い信仰の対象として畏れられてきた寺の番人が、まるで夜逃げのように姿を消し闇ルートを渡ってアムステルダムへやってきたかと思うと、腑に落ちないしやるせない気持ちになる。 とにもかくにも、この2体の仁王像にとっては、たくさんのドラマが詰まったアムステルダム国立美術館が、終の棲家なのである。 追伸運転手さんと二人で重装備で山に入ったが、幸いまむしにもスズメバチにも遭遇しなかった。運転手さんは同年代の女性。彼女のお父さんは岩屋寺の近くのご出身とのことで、ずっと電話を介して道案内をしてくださっていた。これまでにも随分と日本国内を旅行をしてきたつもりだけれど、岩屋寺周辺の風景は、私の中では最も日本らしさを感じさせる場所のひとつ。まさに「ザ・日本」。廃寺とは言え、寺を囲む森には、今でも八百万の神々が宿っているに違いなかった。 photo’s: (c) studio frog 2014

映画「みんなのアムステルダム国立美術館へ」に登場する仁王像のふるさと

2月20日から渋谷で上映される「みんなのアムステルダム国立美術館へ」。同美術館の改築工事からリニューアルオープンに辿り着くまでの波乱の10年を描いた、涙と笑い溢れるドキュメンタリー映画である。怒り、失望し、妥協を重ねながらも、再び美術館の扉を開けるために猛進する全関係者たちの熱い思いが浮き彫りになった傑作。こんなにも赤裸々に舞台裏を見せた美術館はない(たぶん)。泥沼の裏話すら、今では同館の貴重な伝説だ。これが作り話でないことに驚いてしまうほどドラマティックなドキュメンタリー。お時間があったら是非! 今回の話は、その映画にも頻繁に登場する仁王像のふるさと、島根県の岩屋寺について。 この仁王像、すなわち金剛力士像は、国立美術館に新設されたアジア館の目玉だ。昨年の秋、担当学芸委員の念願で、盛大な開眼式が行われた。 京都から招かれた大勢の僧侶が執り行った、荘厳なお式。私は、そこに運良く立ち会うことができたのである。学芸員のメノーさん(映画にもよく出てくる)が式後の講演で、この2体の像のふるさと岩屋寺の写真を見せながら「芸術作品は、自分の身を守る術を持ち合わせていない。廃寺となった岩屋寺を訪れてみて、それを強く感じた」と語っていた。その言葉がなぜかとても印象に残り、この秋、私もその岩屋寺を訪れてみたのである。 この旅の始点となった名古屋近郊から、鉄道で約10時間。1日に数本しか走らない単線路線を乗り継ぎやって来たのは、出雲の山の中の駅。降り立った「よそもの」は私だけだった。駅に待機していたボランティアのガイドさんに「どちらへ?」と聞かれ「岩屋寺を見に来ました」と答えると、彼の表情がにわかに変わる。驚いてらっしゃる様子だった。「あそこへは行かれないですよ」とおっしゃる。道も整備されていないし、何しろスズメバチやまむしがうようよしていて危険だとのこと。それでも何とか行ってみたいのだと伝えると、どなたかに電話をかけはじめた。数分後町役場の方々が数人集まり、「ついこの前もスズメバチがたくさんいた。全身白っぽい服装で帽子を被り、まむし対策には長靴、登山用のスパッツなどをはいて、長い棒を持って行った方がいい。とにかく重装備で行き、スズメバチに出くわしてしまったら諦めて静かに退散するように」との忠告を受ける。そして、「岩屋寺周辺に詳しい女性のタクシーの運転手さんがいるから、その方にアテンドしてもらうとよい」と連絡を入れてくださり、翌朝宿で落ち合う約束をした。 宿に到着してからすぐにググってみると、「スズメバチは黒いものに寄ってくる。遭遇して手を振りまわしたりすると襲ってきて、一度さされると多くのハチが寄ってきて攻撃をしかけてくる」などなど、都会っ子の私は知らないことばかり。急いで近くのガーデンセンターに行って、使い捨ての白い紙の作業着を運転手さんの分と2枚、膝までの長靴、そして安全ゴーグルを購入。翌日にそなえた。 続く(click) (c) studio frog 2014 photo’s: (c) studio frog 2014

Markthal Rotterdam

Markthal Rotterdam 建築の街ロッテルダムに、新たな巨大ランドマークが誕生した。「マルクトハル」という国内最大の屋内食品市場で、世界的に知られる建築事務所MVRDVが設計デザインを手掛けた。 12000平方メートルの敷地に建つ高さ40mのアイコニックな建物は、巨大なトンネル型をした複合商業施設。4000平方メートルの食糧市場、1200台分の駐車場、228戸のアパートなどが入っている。屋内市場と住宅の組み合わせは世界初だ。 プレスプレビューで館内を案内してくれた、MVRDVのウィニー・マース氏 「都市建築に求められる密集度を保ちつつも、閉塞感からの解放と十分な収益性を確保するには大きなスケールが必要だった」と説明するのは、MVRDVのウィニー・マース。街の中心にあるこの食品市場は「”食糧”とその重要性に焦点を当てて、”街”との密接な関係を提言している」と言う。その上、建築と都市とが一体であることを象徴するために、周囲の歩道と同じ石材でファサードやフロアを覆った。まさに、街の一部をデザインしたのである。 天井を覆う巨大な壁画も、色鮮やかで迫力満点だ。152cm四方のアルミパネル4500枚で構成されたこの作品は、アーティストのアルノ・クネンとイリス・ロスカムが制作したもの。馴染みのある食材がモチーフになっている。 「スノビッシュなフードコートではなく、庶民的な”食品市場”という雰囲気を維持したい」とマースは語っている。そして最重要のポイントは、とにかく美味しいショップが目白押しなこと。軒を並べるレストランやカフェも、趣向を凝らしたメニューが自慢だ。ロッテルダム観光の休憩場所としても、是非ご活用あれ! photo ©Kiyomi Yui

欧州議会選挙 (Stemfie OK!)

 昨日、オランダでは欧州議会選挙が行われた。 投票率は37%。ヘルト・ウィルダース率いる、反EUの自由党PVVが大勝すると予測されていたが、当日の出口調査によればその支持率は17%から12,2%に減少。これまでの5議席から3議席に減少する見込みと国営放送は報道している。一方、親EUのリベラル民主、D66党は今選挙の一番の勝者で、これまでの3議席から4議席に増える見込み。同じく親EUのキリスト教民主党CDAは、前回より1議席減る見込みだが、D66と並んで4議席と最大。 ある調査によれば、国民の1/4は反EU。あとの3/4は、ユーロは意義のあるものと考えていると言う。 ステムフィー ところで、今回の選挙の裏でにわかに話題になったのが、投票ブースでのセルフィー(自撮り)。オランダ語で投票のことを「ステム」ということから、ステム+セルフィーで「ステムフィー(stemfie)」という造語も誕生した。 前回の市議会選挙では、政治家たちのステムフィーも多く出回りメディアを賑わせた。その後、投票の秘密保持などの点からその是非が問われる裁判もあったが、判決は「問題なし」。そんなこともあり、オランダ国営放送が報道したイギリスやベルギーでの「厳格」なステムフィー対応のニュースが話題を呼んだ。同放送のニュースによれば、お隣のベルギーではステムフィーは禁止で、場合によっては300〜3000ユーロの罰金。イギリスにおいては、最高5000ポンドの罰金、あるいは最高半年の懲役だそう。イギリスのある地域では、投票所を監視する係員たちに「ステムフィー」を撮っている人を認識させるトレーニングまで行った、とある。もし現場を発見したら、その写真を消すように指示をするらしい。 一方、ステムフィーOKのオランダでも、投票ブースには次のような張り紙が。「投票の秘密保持:あなたが誰に投票したかを他人に知らせる必要はありません。すなわち写真を撮ることで、それを知らせる必要もないのです。また、誰もあなたに写真を撮ることを強要することはできません」 誰に投票したかがわかる写真を撮るのは考え物ではあるけれど、ステムフィーを撮りたければどうぞ!ということだ。私もこのポストを書くために、初セルフィーに挑戦。とは言え、持って行ったのはスマフォではなくミニデジだったのでこそこそと苦戦しながら撮っていると、背後から「ステムフィーはOKですから、じゃんじゃん撮ってください」と係員の大きな声・・・・会場からどっと笑いが起こってかなり恥ずかしいことに・・・投票箱の横にいた係員には「上手く撮れた?」と笑われつつ、遅ればせながらステムフィー・デビューを果たした。 このステムフィーに関しては、オランダでもさまざまな意見があるようだが、若い有権者たちを投票へと誘う効果もあると分析している人もいる。周辺国では違法となると、このステムフィーもオランダならではの”特権的な”トレンドということになる。 photo’s (c) studio frog 2014

長崎にて

オランダと言えば長崎、というわけで、昨日ちょっとだけ長崎に行ってきた。 もう夕方で、それほど時間があったわけではないので、駅から近い「日本二十六聖人殉教地」を見学。

アムステルダムで執り行われた、仁王像の開眼供養

2013年10月13日。 4月にリニューアルオープンしたアムステルダム国立美術館で、仁王像の開眼供養式が執り行われた。厳かな儀式の場に様変わりしたアジア館の展示ギャラリーに、鮮やかな装束をまとった京都大覚寺の僧侶の読経が響いた。 その後、中庭で護摩祈祷が予定されていたが、あいにくの雨のため、急遽館内でも行える火を焚かないご祈祷に変更。アトリウムに集まった大勢の来館客に見守られる中、神聖な火に変わって、花びらを象ったカラフルな色紙が宙を舞った。 学芸員のメノー・フィツキさんは、式後のレクチャーの中で、仁王像について次のように語っていた。 「この美術館の仁王像は14世紀に作られたもので、かつては島根県の岩屋寺を守っていました。寺はすでに廃寺になっており、像はアートディラーから購入しました。この像があった場所を見るために私は岩屋寺を訪れましたが、そこで目にしたのは、門番のいない朽ちた仁王門でした。その側壁には、像を取り出すために開けられた大きな穴がそのまま口を広げていました。この光景を見たとき、私は何とも言えないメランコリーを感じ、悲しくもなりました。我が美術館の仁王像は、かつてはここが住処だった・・・そして芸術品とはなんとも儚く、どんなに素晴らしい作品も、自らを守る術は持ちあわせていないことを改めて認識しました」 芸術への愛情と、宗教に対する敬意に満ちた、印象的な言葉だった。そして、この美術館が2体の像の新たな住処となるようにという願いを込めて、この開眼式を行ったのだと説明した。 トラブルの連続で難航した、10年に渡る美術館大改築工事から再開までの終始を追った「新しい国立美術館」という長編ドキュメンタリーは、リニューアルオープンの時期に合わせてテレビでも放映されて話題を集めた。その中には、再オープンのメドも立たなくなるほど工事が行き詰まった頃に撮影された、メノーさんのインタビューもある。 その中で彼は、とても申し訳なさそうな面持ちで、倉庫に置かれた仁王像の胸に手をあててこう語る。「仁王像にはリスペクトが必要だ。真っ暗で、訪れる人もいないこんな場所に置いておくなんて、彼らの本来のあり方じゃない。わざわざ日本から来たのにこんなことになってしまうなんて、僕も少なからぬ責任を感じている。いつか必ず、どんなことをしてでも、最善を尽くしてこの像を美しく展示する・・・そんな思いから、夜中に目が覚めてしまうこともある・・」 この印象的なシーンを思い返しながら開眼供養やご祈祷を見ていたのは、おそらく私だけではなかったはずだ。 (1枚目の写真の一番左、2枚目の写真最前列左に座っているのがメノー・フィツキさん) (*2021年9月、内容は変えずに少しだけ文章を修正しました)

平均身長世界一の国で(WORLD FOOD FESTIVALにて) 

小柄って、悪いことですか?? あるデータによれば、オランダ人男性の平均身長は183センチちょっと。一方女性はほぼ170センチ。オランダ人は男女とも、平均身長の高さでは世界一だ。 私は164センチ。オランダ基準では小柄な方。夫は174センチで、オランダ人男性としてはかなり小さめ。そして息子は、クラスで一番小さい。けれども、やせ型だが非常に筋肉質で活発、病気もしない健康児である。 何年か前、息子の定期検診で保健所に行った時のこと。一通りの測定をした後に保健婦さんが、重要な知らせがあるといった面持ちで、息子の「予想成長曲線」を見せてくれた。このままでは、息子の身長は170センチそこそこしかいかないと予想される、というのだ。「主人も私も小柄なので、170センチって妥当な感じもしますけど・・・」というと、「一度ホームドクターと相談してみたら?もしかすると成長ホルモンが足りないのかも」と言われ、「いやいや、健康そのものなんだから、このままでいい」と私。それでも「いや、でも男性の平均は183センチ以上よ。彼の年代の平均はもっと高くなるはず。相談するだけしてみたら?」と押されてびっくりした経験がある(あなたたちが大きすぎるのだ・・比べられても困る・・・と思ったのをよく覚えている)・・・・・ ・・・と、ここまでは前置き。 牛乳のかわりに、ホウレンソウジュースを! 先日、9月18日から10月27日までロッテルダムで開催されているWORLD FOOD FESTIVALに行ってきた。文字通り、「食」をさまざまな角度から考察するフェスティバルだ。 「食のデザイナー」として知られるMarije Vogelzang(マライエ・フォーゲルサング)が、同フェスティバルでキューレーターとして大活躍した。「食」というテーマの周辺で活躍するデザイナーやアーティスト4人を招いて、ディベートも開催。ここでは、将来の食やその問題点、クリエーターに果たせる役割などがオープンに語りあわれた。 Arne Hendriks(アルネ・ヘンドリクス)も参加していた。とてもユニークなアーティストで、現在は「The Incredible Shrinking Man」というプロジェクト作品に取り組んでいる。この中で彼は、地球上にある資源や食糧は限られていて、70億人を超える世界人口をまかなうには到底たりない。都市では居住空間も足りない今、人間はより短身になり環境への負荷を減らす努力をするべきだと訴える。科学的なデータと創造力をユーモラスにミックスしていて、時には思わず吹き出してしまう話だったが、筋の通ったメッセージがしっかりと受け手に届く興味深いプロジェクトである。 彼はこう説明する。「なぜか現代の人は、長身なのがよいことだと感じているし、それが健康の象徴だと考えている。お母さんたちは子供に、”ほら、いっぱい牛乳飲まないと背が伸びないわよ”と言うでしょう?長身=ベターというアイディアは、子供のしつけにまで浸透している。例えばみんなが、短身のほうが環境と地球のためによく、よりサステイナブルであると考えをシフトしたら、”ほら、もっとホウレンソウジュースをいっぱい飲まないと(ホウレンソウには成長を抑制する成分が入っているそう)大きくなりすぎちゃうわよ!”と言うようになるはずだ」人の身長は、さまざまな要因によって決まる。彼の調査によると、そのうち、食べ物の影響による作用は約15%だ。 彼がスピーカーとして参加したカンファレンス「TED」の中でも、人の身長が伸びると、その容積や重量は倍増していくことを説明している。そして、必要とする資源や食糧、空間は倍々増していくのだ。 何かを大規模に変革するためには、最終的には、政治、教育、産業といったものがグローバルレベルで一丸となることが不可欠。「僕たちアーティストやデザイナーにできることは、”エリート趣味”の範疇を超えられないかも知れない。だが、それでも人々が当たり前と信じている固定概念に問いかけ続け、再考する機会をつくっていくことは意義のあることだと思う」と言う。 息子の成長障害を疑ったあの保健婦さんにも、是非この話を聞いてほしかった。 かなり前に書いた、マライエ・フォーゲルサングに関する記事↓

アムステルダム国立美術館の壁画

4月にリニューアルオープンして以来、連日7千人から1万人が来館する国立美術館。8月22日には、100万人目の来観客を迎えた。 そんな国立美術館の、個人的な思い出話をひとつ・・・ 2007年のこと。 国立美術館の壁画修復・復元作業の真っ最中、その様子を取材しに行ったことがある。美術修復を学ぶ大勢の学生たちが、ミリ単位の細かな作業をしていた。 この美術館を設計したピエール・カウペルスは、建築だけではなく、庭園や館内の装飾まで自ら手がけていた。だが、1950年代、アートシーンはミニマリズムに移行。天井や壁の豪華の装飾は、白いペンキで塗りつぶされたのである。 その白いペンキを、学生たちは小さなメスで丁寧に剥がし、元の絵を復元させていた。まさか館内中のペンキをこんな方法で剥がしていくのかと仰天したが、さすがにそれは不可能なので大部分は上塗りして再現する。型紙を使って、細かな模様を丁寧に描いていく。正直、背後に広がる何ヘクタールもの白い壁が、いつの日か絵柄で埋め尽くされるなんて想像ができない。取材をしながら、私は気が遠くなってしまった。 そんな思い出があるため、リニューアルオープンで私が一番感激したのは、落ちついた色味ながらも鮮やかな壁画と天井画を見た時だった。取材の時に見た大勢の学生たちの汗と涙(?)の結晶に、思わず涙腺が緩んでしまった。この美術館に来る機会があったら、この壁画を描いた学生たちの地道な偉業にも思いを馳せてみてほしい。 写真は、2007年の取材時に撮影したもの。

再開・・・

夏休みを日本で過ごしていた間に引いた風邪を、ずるずると引きずってしまいました・・・

即位式を飾った花

2ヶ月前に世界を沸かせたオランダの即位式。「今更即位式の話題ですかー?」という声も聞こえてきそうですが・・・それでも!ちょっとだけ気分を戻してご報告。

ブリュッセル

6月27日、28日の2日間、EU首脳会議の舞台となっているベルギーの首都、ブリュッセル。

VIC’sの日

6月7日。 夕方、そろそろ家に帰ろうと仕事場を出る頃、けたたましいサイレンの音が街中に鳴り響いた。

即位式の日

もう1週間過ぎてしまったけれど・・・ 4月30日、アムステルダムで行われた即位式。

アムステルダムの桜 続編

アムステルダムの桜 続編 ウィレム・アレキサンダー皇太子の即位式まであと4日。 ホテル・オークラ・アムステルダムの近くの桜並木は、満開を少しだけ過ぎた感じです。 去年は、写真を撮っていたら「この花はサクラという日本の花だよ」と教えてくれるオランダ人がいたのだが、今日は「何年も見ているのに、いまだに花の名前がわからないんだ」と言う男性と会った。「この近くに住んでいて、毎年きれいなだーと思って見ているんだけど、君はこの花の名前知っている?」そう話しかけてきたのは、とてもお花見を楽しみそうなタイプには見えない男性。サクラという日本の花だと言うと、「ゴッホが絵に描いた花でしょう?」と彼。それはアーモンドの花だと言うと、「どこが違うの?」と聞かれて困った。たぶんちょっと違う。よく似てるけど。 日本の皇室にはほとんど関心がないが、雅子様が即位式に出席するというニュースを聞いて、少しだけググってみた。適応障害とか、11年ぶりの公務とか、今まで知らなかったニュースと共に、びっくりするような批判の言葉も・・・オランダでも、朝のラジオ番組で雅子様が即位式に出席するというニュースが取り上げられていた。ストレスのことや男の子の世継ぎを生まなかったことなどと共に、日本では女性は天皇になれないことなどがゲストから説明されると、プレゼンテーターは驚いて、「オランダでは3代も女王が続いていたので、男性の国王で大丈夫?なんて思ってしまうけれど、日本は逆なんですねー」と笑った。 あるテレビ番組でも、「男性国王に、包容力を持って国をまとめることはできるのか?」なんてことが話題になったり。123年女王の存在に慣れ親しんだオランダ人にとって、男性国王の誕生はまだ違和感でいっぱいだ。だが4月30日の即位式から1ヶ月もすれば、もう誰も「”男性の”国王」なんて言わなくなるだろう。 追伸:写真の一枚に、緑色の南国のインコが写っている。なぜかたくさんいて、よく群れを成して飛び回っている。人間だけではなく、鳥の世界もマルチカルチュラルだ。 photo: (c) studio frog

Rijksmuseum アムステルダム国立美術館 2

(←アムステルダム国立美術館1〜間もなくオープン〜) アムステルダム中央駅も手がけた建築家カウペルスによる国立美術館がその扉を開けたのは1885年。<レンブラントの傑作「夜警」を飾る祭壇>というコンセプトに基づいて設計された「芸術の殿堂」である。 カウペルスは、ネオゴシックやネオルネッサンス様式が融合した建築スタイルの趣をインテリアにも反映させるために、自ら壁や天井を彩る装飾画も手がけていた。しかし、その鮮やかな装飾は、前世紀のミニマリズムの流行に押されて、真っ白に塗りつぶされてしまう。「それは、建築とインテリアを結びつけていたリンクを断ち切ることと同義だった」とは、今回の改築で天井画と壁画の修復再生を担当した美術史家、アンナ・ファン・グレーフェンシュテインさんの言葉である。改築後、美しく蘇ったカウペルスの館内装飾。それは、構造(建築)と空間(インテリア)の統一感と、建築全体のロジックを再生するものであった。 芸術を見せる美術館であり、歴史を語る博物館でもあるという同館には、80の展示室があり、800年分のオランダの歴史を伝えている。歴史的なオブジェ、絵画や彫刻などのように種類で作品を分類せず、時代ごとにまとめて見せることで、その時々の文化背景や風潮がわかるようになっている。 近代の展示場には、1918年に製造された飛行機や、アウシュビッツ強制収容所で着られていた縦縞の囚人服、その持ち主の家族アルバムなども並んでいた。その全てが重要な時代の証人であり、同世代の作品が生まれる背景を物語っていた。 デ・スタイル派の作品の数々、1960年代に登場したスキポール空港の案内板(トータル・デザイン作)、そして先鋭の若手デザイナーヨーリス・ラールマンの「ボーンチェア」のプロトタイプや模型などは、デザイン好きにはたまらない。どの作品も、どこかで見たことがあるものばかりではあったが、時代を意識して一望することで、これまでとは違った側面が見えた気がした。 1968年に作られたフェルディの「Wombtomb」(フェイク・ファーの棺のようなオブジェ)を見ることができたのは、私にとってはこの日の最大の収穫だった。フェルディは、私がアートアカデミーの学生だった頃大好きなアーティストだったが、彼女に対する評価は非常に割れていることも知っていたので、担当の学芸員に話を聞いてみた。すると、「この作品の展示を巡っては大きな論議がありました。しかし、1960年代最大のムーブメントであったヒッピー文化を象徴するには、彼女の作品が最適であると考え展示しています」との答えだった。 アートやデザインで綴る、800年のオランダ史。アムステルダムに来るチャンスがある人は、是非!新しくできたアジア館には、対の仁王像や、出島の模型もあります。 Photo © studio frog

Rijksmuseum アムステルダム国立美術館 1 〜間もなくオープン〜

10年に渡る改築工事を終え、4月13日、アムステルダム国立美術館がいよいよリニューアルオープンする。先週のプレスプレビューでは、世界各国のメディアが一足先に館内を見学。欧州やアメリカを始め、アジア各国からもメディアも集まり、その関心の高さを伺わせた。美術館には、館長(上写真左から2番目)始め、コレクションの主任(上写真右から3番目)、美術館の建築家(右から2番目)、内装・展示設計者、文部大臣などが勢揃いし、インタビューに応えた。 アムステルダム国立美術館は、芸術を展示する美術館であるだけではなく、オランダの歴史を語る博物館でもある。そのため、展示は作品の種類別ではなく年代順に見せ、歴史の流れを体験できるように構成されていると、ウィム・パイベス館長は説明した。そして「国立美術館は、世界屈指のコレクションを誇る美術館です。世界各国から見に来てほしい。同時に、オランダ社会にとっては、自国の歴史を学ぶという役割も担っています。オランダ中の子供達には、我が国が誇る最高傑作レンブラントの<夜警>を少なくとも一度は見て欲しいと思っています」と、芸術教育に貢献していく意向を強調した。 館内の様子は、次回に続きます。

エシカルな木製自転車 Bough Bikes

ひとつお知らせです。 Think the Earthというすてきなサイトで、レポートを書かせて頂くことになりました。その第一弾として紹介させていただいたBough Bikesを、こちらでも紹介します。

レンブラントの大作「夜警」の引っ越し

3月27日の昼。 レンブラントが描いた集団肖像画の最高傑作「夜警」(1642)が、大がかりな引っ越しをした。 幅4.54m、高さ3,79m、フレームなしでも170キロというこの巨大な絵画は、アムステルダム国立美術館が誇る珠玉の傑作。2003年から続いていた同美術館改築工事のため南別館に展示されていたが、4月13日のリニューアルオープンを前に本館の定位置に戻されたのだ。その大きさ故に館内では移動ができず、幾重にも厳重に梱包されて美術館の周りをぐるりと路上移動。一帯は交通規制されて立ち入り禁止に。大勢の警察官にエスコートされて、運搬作業はゆっくりと、そして慎重に行われた。 まず、南別館の2階にある専用搬出口から出てきた木枠と特別シートで梱包された「夜警」を、搬出口外側で待ち受けていた運搬用保護ケースに収め、クレーンを使って庭に待機している運搬台の上にのせる。そして、美術館横の道を通りミュージアム広場に面したメインエントランスホールへ。この絵の定位置である2階の「夜警ホール」の床部分(下の通路から見れば天井)にある専用の搬入口からチェーンで引き上げられて、9年ぶりに定位置に帰還した。その後、10名のスタッフが3時間以上かけて壁に掛けたと言う。これまでは床から52cmの高さに展示されていたが、混雑してもよく見えるようにと10cm高い62cmの位置に設置。これによって、「より迫力のある遠近効果を楽しめるはず」と美術館は説明している。 「夜警」はもう、永遠に門外不出です! 2003年に改築工事が始まる時にも、「夜警」は今回の逆ルートを路上移動した。オランダがドイツ占領下にあった第二次世界大戦中には、芸術品を次々と押収していたドイツ軍の手から逃れるために、額から外して丸めた状態で、数年間リンブルグ州の洞窟に隠されていたこともある。 今回の運搬プロジェクトを無事終えて、美術館担当者は金輪際こんなことはしたくないと言った様子で「この絵はもう、永遠に門外不出です」と安堵の表情を見せた。 当初4年半と予定されていた改築工事だが、度重なるアクシデントで暗礁に乗り上げ、工事再開のメドすら立たずに放置されていた時期もある。約10年の間工事現場と化していた芸術の殿堂。そのリニューアルオープンは、まさに国を挙げての大イベントとなる。 <スライドショー> 「夜警」が外に出てきてから、再び美術館の定位置に入っていくまでの様子。黄色やオレンジ、青のベストを着ているのは報道陣。BBCの旅番組のクルーの姿も。美術館2階の外で待ち受けている、横が青いケースが運搬用保護ケース。その後ろに細長い搬出口が見える。 キューレーターたちは心配顔。 定位置の「夜警ホール」の下からチェーンでつり上げて、運搬は完了だ。 photo Kiyomi Yui

劇場版ミッフィー

Miffy the Movie (c) Mercis bv / Telescreen Filmproductie. All rights reserved (c) 2012 Warner Bros.Ent. All rights reserved. 日本では「ミッフィー」の名で親しまれている、うさぎの「ナインチェ」。 グラフィックデザイナーのディック・ブルーナがこのナインチェを生み出してから、約60年が経つ。

着衣水泳

着衣水泳 昨年の春、水泳検定の最初のステップ「A検定」をクリアした息子が、この度「C検定」に挑戦。これは、国の水泳施設組合による子供のための正式な水泳検定で、A,B,Cの順に難易度が上がる。 C検定をクリアすると、水中で起こるたいていの一般的な状況に対応できる技能を取得すると言われている。平泳ぎ、背泳ぎ、クロール、そして潜水もできなければならないが、日本人の私にとって一番の驚きは、何と言っても着衣水泳のテストだ。 半袖、半ズボン、ウォーターシューズという軽装で良かった検定Aの着衣水泳は、検定Bでは長袖、長ズボンとスニーカーに。Cになると、その上に厚手のウィンブレーカーのような上着が加わる。そして、前屈みの状態で半回転しながら飛び込み、背中から着水。準備体操もなければ、事前にシャワーも浴びない。まさに、不意に水に落ちた時と同じ状態で練習する。着水後は30秒立ち泳ぎをした後60秒仰向けに浮かび、50mの平泳ぎと背泳ぎ。そのコース上に浮かべられたマットの下を潜ったり、よじ登って乗り越えたりもする。 顔を水につけないように飛び込むテストもある。息子が通うプールでは、これらの飛び込みのテストは水深2m以上のところで行い、水から上がる時にははしごを使わずにプールサイドをよじ登ってこなければならない。 「着衣水泳」と日本語でググってみると、Wikipediaにも項目があった。「運河の多いオランダやイギリス、オーストラリアなどでは、護身術としての着衣水泳の教育が、競泳よりも重視されている」とある。 頑張ってC検定まで辿り着いた子供達の、水中での落ち着きぶりが頼もしく見えた。 (C) studio frog

キンデルダイクにて

26日の土曜日。記録的な寒波が、去って行ってしまった。 25日まで約2週間にわたって氷点下が続き、全国的に運河がしっかりと凍った。 ニュースは「寒波襲来」と報道するけれど、「寒波来訪」と歓迎する人も多い。

ヨリス・ライエンダイクの金融の話

ヨリス・ライエンダイクの金融の話 この元旦、ひじょうに興味深いドキュメンタリーを見た。 ヨリス・ライエンダイクというオランダ人ジャーナリストが案内役をつとめる、「バンカーの脳」というドキュメンタリーだ。ライエンダイクは大好きなジャーナリストの一人。アラビア語や宗教人類学を学び、しばらく中東の特派員をつとめていた。彼の著書「こうして世界は誤解する」は、日本語訳も出ている。 現在はベースをロンドンに移し、ガーディアン紙で「THE JORIS LUYENDIJK BANKINGBLOG」というユニークな金融のブログを書いている。「僕は金融経済の素人。だから読者と一緒にその世界を掘り下げていく過程をブログで紹介する」というのがコンセプト。すでに1年半書き進められているこのブログでは、金融業に携わる人々や、かつてその業界で活躍していた人々の(匿名)インタビューなどが多く紹介され、閉鎖的な業界の内情を垣間見ることのできる斬新なジャーナルとして脚光を浴びている。 番組の中では、金融業界での体験談を暴露する元バンカーの作家、かつてゴールドマン・サックスやドイチェバンクで働いていた金融業専門の脳神経学者、ロンドンでマネージャークラスのバンカーたちをクライアントとする心理カウンセラーも出演し、バンカーという特殊な”人種”やそのメンタリティー、業界カルチャーを描き出している。 先頃イギリス政府の銀行制度改革案に関する報告書を発表したイギリス議会の銀行規範委員会は、ボルカー元米FRB議長はじめ多くの証人を招待して情報を収集した。ライエンダイクも、ブログが評価されて「異なるアングルから銀行業界をみる人類学者、ジャーナリスト」として招待され、興味深い見解を述べた。 番組の中では、ロンドンの取引市場で活躍するバンカーのトップに精神病質の人の割合が高いことにも言及している。大量のテストステロンを分泌する勝負師的な体質の人に適性がある業種。仕事の形態や業界のカルチャーからその特徴は暴走し、しまいには根拠のない万能感で尋常でないリスクを伴う取引をするケースが日常茶飯事だという。ライエンダイクは、「自分が神として機能していると心から信じているトップも多い。そして世界中の人々が”この僕”になりたいと願っているという優越感を持っている」と、これまでにインタビューをしてきた人々の言葉を思い浮かべるように語った。ちょっとびっくりな見解と思ったけれど、銀行規範委員会のメンバーもこのメンタリティーには着目していて、その原因や背景についてライエンダイクの意見を求めていた。 「経済危機から5年たった今でも、その被害はまだ把握しきれていない。奇妙なのは、この危機を巻き起こした当事者たちについて、我々はほとんど何も知らないということだ。そこで、ヨリス・ライエンダイクを案内役に、世界金融の心臓部”ロンドン・シティー”を探索してみよう」という出だしで番組は始まる。 そして「法則を破るバンカーがいることは問題だ。だが最大の問題は、その法則自体にある。普通に考えれば、2008年にあれだけの世界不況を巻き起こした当事者たちは、牢獄に繋がれてしかるべき。だが誰も裁かれてはいないということは、彼らが従っている法則自体が間違っていると考えるしかない」と、業界の問題を指摘。個々のバンカーたちの「勝負」や「スリル」に対する中毒的な欲求が業界全体を動かす業界のカルチャーについては「敵を殺せば大きな報酬が得られ、その過程で間違って一般市民を殺してしまっても、”大丈夫、他の誰かがケアしてくれる”程度に考える異常な軍隊のよう。敵地一面に手榴弾をカーペットのように敷き詰めることも厭わない・・<中略>・・・地獄のないカトリシズムに似ている(銀行規範委員会のインタビューのビデオより)」とライエンダイクは強い言葉で描写する。 「精神病質のトップバンカーたちが、考えればあまりにも危険すぎるとわかっていたリスクをおかし、その結果経済が破綻した。世界中で甚大な被害を出したにもかかわらず、当事者のバンカーたちは、今でも自分の利益を追求し、スリリングな取引市場の最先端で活躍している(あるいは自殺している)・・・・」 金融音痴の私にはあまりにも衝撃的な内容だったのだが、業界の人たちはどう見ただろう?それも気になるところだ。 とにかく私は知識が乏しすぎてライエンダイクの洞察を消化しきれてはいないのだけれど、これを機会にもう少し経済について学んでみようと思う。 photo (c) studio frog

秋・・

アムステル川沿いの街並み。 シンタクラースのパレードを見た帰り道に見た、はっと心をひく絵画的な光・・・・・

シンタクラースがやって来た!

毎年、この時期になるとやってくる、子供達のスーパーヒーロー「シンタクラース」。 今年は先週の土曜日にオランダに到着、そして日曜日にアムステルダムにやってきた。

Book Mountain

ブックマウンテン ロッテルダムから約15kmほど南に位置するスパイケニッセ市。人口7万人強のこの小さな町に誕生した図書館が今、世界の注目を集めている。「ブックマウンテン」と名付けられたアイコニックな建築は、ロッテルダムを拠点に活躍する建築家集団MVRDVの”新作”だ。 この図書館が完成する前に、MVRDV主宰者のひとり、ウィニー・マースから話を聞く機会があった。 スパイケニッセはかつては小さな村だったが、多くの労働者住宅を生み出すために予算をかけずに拡張された街。市民の読書量は全国レベルを大きく下回るという統計結果もあったとか。 そんな街に相応しい図書館とは? この街に相応しい図書館 「市民に読書を強要することはできないが、あなたの街にはこんなにたくさんの本があるよ、とアピールすることはできる」とマース。そこで、広場に何百万冊の本をどさりと山積みにしたようなイメージをコンセプトにした。図書館という公共施設に必要なオフィスや倉庫、会議室などの空間をジグラードのようなフォルムに積み上げて、その表面を本で覆った。 本が広場に積み上げられているイメージを強調するために、館内のフロアは広場と同じ煉瓦で統一。その山にガラスの建屋をかぶせた。 館内の本の山を登っていくと、周辺の街並みが一望できる。頂上付近まで行けば、ガラスと木、そして鉄骨が織りなすダイナミックな建屋構造やその美しさを間近に見ることもできる。 ライトアップされた夜のブックマウンテンに、夕食を終えたと見える家族連れが続々とやってきた。市民の憩いの場としても愛用されている様子だ。 photo © kiyomi yui

DJ王国オランダ

(c)BETRIBES 10月17日、世界最大のダンスイベント「アムステルダム・ダンス・イベント」が幕を開けた。

カミングアウトデー

毎年10月11日は、カミングアウトデー。 カミングアウトとは、LGBTがその性的指向を周囲に表明すること。 カミングアウトデーはそんな人々を祝福する日で、1988年にアメリカで生まれた記念日だ。 オランダでも、2009年から様々なキャンペーンが展開されるようになった。

シェル裁判

10月11日、デンハーグで、注目の裁判が開かれた。 ナイジェリアの4人の農民が、環境汚染を引き起こしたとしてロイヤルダッチシェル社を訴え、賠償金と汚染域一帯の洗浄を要求した。

へスター財団(Stichting Hester )from update NL

ヘスター・ファン・ニーロプさんの母、アルセーネ・ファン・ニーロプさん(写真)は、2005年、「ヘスター財団」を設立した(2020年1月1日に解散)。ヘスターさん殺害から6年後にシウダース・フアレスを訪れ、同じく娘を殺害された母親に出会った直後のことである。 「心理学の本には、このような衝撃的な出来事の悲しみは、時間が解決してくれるとあります。1年経てば、悲しみは和らぎ始めて行くのだと。でもそれは間違いでした。時間は、耐えがたい悲しみを抱えた人生と、どのようにつきあえばよいかを学ぶ助けはしてくれます。しかし、悲しみそのものが薄れたり、消えて行くことは決してありません」とアルセーネさんは言う。

400 women フェミサイド犠牲者のポートレート展=from update NL=

アムステルダムの外れにある砂糖工場の跡地で、「400women」という絵画展が開催されていた。 175人の若い女性たちのポートレート画を集めたこの展覧会は、イギリスのアーティスト、タムシン・チャレンジャーさんが企画。彼女の呼びかけに応えた多くのアーティストが参加したプロジェクトだ。 描かれた女性のほとんどはメキシコ人だが、オランダ人もひとりいる。唯一のヨーロッパ人だ。皆、メキシコ北部の工業都市シウダー・フアレスで殺害された女性たち、フェミサイドの被害者である。 砂漠に囲まれたシウダー・フアレスはチワワ州最大の都市で、アメリカとの国境に近い。 戦争紛争地域を除けば、今「世界で最も危険な都市」と言われているらしい。 この街では、日々多数の強姦虐殺事件が起こっているが、犯人検挙率はわずか2〜3%。過去14年で約1000件強の被害が登録されているが、この数字は氷山の一角にに過ぎず、正確な件数は把握されていないと言う。 最近では、遺体が発見されずに行方不明になるケースが多く、警察による捜査は始まりすらしない。被害者の年齢は年々下がっていて、13〜18才の少女が主なターゲットだ。 この検挙率の異常な低さは、犯罪組織の力の強さを物語っている。 街は、巨大な犯罪組織であるドラッグカルテルに支配された無法地帯。男性優位のマッチョ文化や根強い貧困から、残虐な性犯罪があとをたたない。警察や被害者の遺族たちが、誰が犯人かを知っているケースも少なくないらしい。犯人が無罪釈放されたことに抗議した被害者の母親が白昼堂々裁判所の前で射殺されるなど、街全体が全く機能しない法とともに泣き寝入りしている。 多くのケースでは、被害者の女性達は極めて残虐な方法で殺害され、遺体は砂漠に、まるでごみのように捨てられている。 そんなシウダー・フアレスの状況に対する抗議声明として企画されたのが、このポートレート展だ。 アーティストたちは、被害者たちの生前の写真を入手し、遺体が発見された場所や状況などに関する情報を集めて制作に臨んだ。一被害者というアノニマスな存在だった女性たちに顔を名前を与え、このあり得ない状況を広く世界に知らしめるのが狙いである。 描かれている少女達の中には、3才、5才、7才といった子供もいる。 唯一のヨーロッパ人被害者、オランダ人のヘスター・ファン・ニーロプさん(当時27才)は、1998年、ホテルの一室で強姦され殺害されている。 ヘスターさんのポートレート。モノクロで直線的な構図は、ヘスターさんが建築家であったことを象徴している オランダでは、へスターさんの被害が繰り返し報道されていたことから、シウダー・フアレスの惨状について知る人は比較的多い。とは言うものの、真の実状は平和なオランダからは想像も及ばず、小さな少女を含む大勢の被害者を前に、訪れた人々は絶句していた。 この展覧会は、オランダに先駆けイギリスでも開催され、大反響を呼んでいた。 続く

ワールドプレスフォト 2012 (from update NL)

  前年度に撮影された報道写真を対象に行われる、ワールドプレスフォトコンテスト。 その受賞作品を公開する恒例の展覧会が、4月20日、旧市街にある旧教会で幕を開けた。 今年で55回目を迎える同コンテストは、1955年にアムステルダムで発足した「ワールドプレスフォト財団」が運営している。

(c) Rijksmuseum Amsterdam

「手紙を読む青衣の女」の修復

昨年の6月から今年3月14日まで日本に貸し出されていたフェルメールの名作「手紙を読む青衣の女」が、アムステルダム国立美術館の展示会場に戻ってきた。 2010年に1年がかりの大修復を行ったこの名作はその直後に日本に貸し出されており、オランダでは修復後初めての展示となる。

水泳検定 (from update NL)

水泳検定 3月X日 もうすぐ8才になる息子が、水泳検定を受けた。 必ず合格するレベルに達した子供だけを対象にした検定なので、よほどのことがなければ不合格はない。しかしそんな裏事情は知らない子供達は、みな緊張の面持ちだ。 オランダでは、小学生のうちに少なくとも水泳検定Aを取ることを強く推奨している。数年前までは、水泳検定に受かることは小学校卒業の条件のひとつとされていて、水泳は授業の一環だった。だが予算削減のあおりで、今では親が(ほぼ強制に近いが)任意で教室に通わせている。 検定にはA、B、Cとあり、息子が受けたA検定は、最初のステップ。着衣水泳で飛び込み、15秒以上立ち泳ぎ、12,5m以上平泳ぎと背泳ぎができること、水着では50m平泳ぎと背泳ぎができること、潜水ができること、などなどが課題だ。 他国での水泳教育の実態はわからないが、オランダの水泳教室の最大の目的のひとつは水難事故防止だ。子供達は、泳ぐ練習だけではなく、不意に水に落ちてしまった時の対処も学ぶ。運河や湖が多いオランダならではだ。例えば、プールサイドから張り出した特殊ウレタンマットの上を目をつぶって歩いたり、でんぐり返しをして水中に落ちた後、慌てずに、まずは仰向けに浮かぶように教わる。そして、水中で無駄に体力を消耗しないように、足げりだけで方向を変えながら、一番近い岸がどこかを見極めることも習う。着衣水泳も必須。膝丈よりも長いズボンかスカート、シャツ、そして靴を履いて泳ぐ練習は、ほぼ毎月行われていた。 真剣な顔で一生懸命泳ぐ検定Aの子供達だが、泳ぎ方はそれほどかっこよくない。「きれいに泳ぐ」ことを教わっていないからだ。それでも、足のつかない25mプールを難なく往復する。 先生が父兄に向かって、「A検定では水の中での基本的な動きをマスターしますが、実際の水難事故での実践性や泳ぐ能力はまだ十分ではありあせん。ここで満足してしまわずに、是非ともB検定も取得するよう指導してください」と呼びかけた。実際、多くの小学生が、検定Bまで取得している。 子供達に「ギブ・ミー・ファイブ!」と言いながら、免状を配る先生。この水泳検定試験は家族にとっても大切なイベントとあって、両親や子供の兄弟姉妹のほか、たくさんのおじいちゃんとおばあちゃんも応援に駆けつけていた。検定後の更衣室は、「お祝いにケーキを買って帰ろう」とか、検定を見に来れなかったおじいちゃんやおばあちゃんに「免状を見せに行こう!」など、お祝いの空気で盛り上がっていた。 photo © studio frog

北朝鮮レストラン (from update NL)

この冬、アムステルダムに、ヨーロッパ唯一の北朝鮮レストランがオープンした。店名は「ピョンヤン」。 レストランだけではなく、北朝鮮の映画を上映したり、北朝鮮への旅行の手配もするなど「北朝鮮文化センター」の役割も担っている。

安楽死クリニック、活動開始

世界に先駆けて安楽死を合法化したオランダで、3月1日、世界初となる安楽死クリニックが活動を開始する。 安楽死の執行は医師の「義務」ではないことから、法で定められた条件をクリアした患者でも必ず安楽死できるとは限らない。年間約1万件ある依頼のうち、実際に安楽死できるのは三分の一程度。宗教的な理念などさまざまな理由から、安楽死執行を拒否する医師も多い。 この現状を受けてNVVE(オランダ自由意志による死協会)が行った調査の結果によると、重い持病、アルツハイマー、生きることが耐えがたくなるほど重症の精神疾患など、不治の病を抱えていても、余命の短さを特定できなければ安楽死が施されないケースが多い。そして、そのうちの相当数の人々が、家族による自殺ほう助、電車へ飛びこむなど無関係な人々を多数巻き込む方法、あるいは遺族にとって非常に辛い方法で自殺を遂げているという。これらの人々に、尊厳のある死を提供することが安楽死クリニックの目的だ。 同クリニックでは、オランダが法で定める安楽死法に則ってプロセスが進む。申し込みができるのは、オランダに居住し、オランダの健康保険に加入している人。この条件を満たす外国人は、医師団と十分なコミュニケートをとれる語学力があることも条件だ。厳しい諸条件をクリアし、長いプロセスを経て死以外の方法はないと認定されると、3日がかりで安楽死の準備をすると言う。 精神科医、ソーシャルワーカーなどから必要なサポートを受けることができるが、当面はスタッフが患者宅に出張する形をとる。 年間約1000人の申し込みを予想している。 「安楽死が認められてさえいれば、娘は尊厳のある死を遂げられたはず」 「娘は、カギをかけた病室で、ビニール袋を頭からかぶって首をベルトでしばり、ぬいぐるみを抱きかかえて自殺しました。彼女が生き続けていくことができないことは、誰の目にも明かだった。もしこのクリニックのような機関の助けを借りることが出来ていれば、娘をあんな寂しい方法で死なせずにすんだはずです。家族に囲まれて、人間として尊厳のある死を遂げられたと思います」余命が短いことを明らかにできる病気ではないために安楽死は認められず、精神病院の個室で自殺した娘を持つ老婦人はTV番組のインタビューでこう語った。 「安楽死という一つの治療法だけにフォーカスするべきでない」という反論 このクリニックに異論を唱える医師団体も多い。その理由は、「正しいプロセスを踏めば、患者とつきあいが長く信頼関係を持つホームドクターたちが安楽死を行うことができる」、「医師として一つの治療法(安楽死)だけにフォーカスせず、他の可能性を探り続けるのは重要」などだ。 同時に、いざという時点になって、自分のホームドクターが安楽死を行わない主義であることを知り戸惑うことのないように、安楽死を視野に入れている人は、ホームドクターを選ぶ段階で確認しておくことが重要だとアドバイスしている。 世界に先駆けて安楽死法を実現させた、オランダ人気質 オランダでは、2002年春から安楽死法が施行されている。この国が安楽死法制定第一号になった背景には、独特の精神性や世代性、文化が影響しているのだと、NVVEの広報担当者から聞いたことがある。 ひとつは、欧州の南部のように教会の影響がそれほど強烈ではない社会であったこと。特に安楽死法の制定に大きく貢献したベビーブーマーは、信仰の縛りからも比較的自由で主張が強く、進歩主義的な政治を生み出した世代だ。もうひとつは、オランダには自己決定権、自主尊重、自主権に強くこだわる「自分が決める、自分で決める」という精神性が歴史的に根付いていたことだ。 これらの諸条件が整えた政治、そして現場の声を迅速に反映させるボトムアップの社会構造の中で、タブーを打ち破る激しい論争を展開した末に誕生した安楽死法。お隣のベルギーでも、オランダの約半年後に同法が制定されている。 一方、運命が決めるはずの命に、人の手がここまで介入することの是非を問う論争は今でも続いている。「全ては神の思し召し」という宗教的な考えが人々を幸せにするとは限らないことはわかっていても、革新的な考えはそう容易に受け入れられるものではない。 安楽死法は、今後も少しずつ論点をシフトさせながら、その時代の社会に最適化させた形を模索し続けていくに違いない。 2012年3月2日

Ajax-AZ  (from updateNL)

1月19日 アムステルダムのサッカーチームアヤックス対アルクマールのチームAZの、特別な一戦がアヤックススタジアムで開催された。 なにが特別だったのか・・。 それは観戦できるのが、小学生と引率者だけに限定されていたからだ。 警備の事情から、スタジアムは半分のみ使用したが、2万人の子供が一斉に叫ぶ様子は壮観。いつもの試合とは異なる無邪気な活気で溢れていた。

Woudagemaal (from update-NL)

この数日、オランダは大雨と強風に見舞われた。特に国土北部の北ホランド州、フリースランド州、そしてフローニンゲン州では、時速100kmにも達する強風とともに豪雨が続き、湖川の水位も大幅に上昇。その水位は過去14年間最高を記録し、各地で堤防の決壊、破堤が危惧された。

Maastricht- Onze Lieve Vrouwebasiliek (from update-NL)

  オランダ最南の街マーストリヒトにある「聖母マリア教会」は、 この国で最も美しい教会のひとつで、有名な聖母マリア像がある。 海の守護神と言われ、このマリアに祈りを捧げると、争い事が仲裁されるという言い伝えがある。

Noordwijk (from update-NL)

< div class=”style_SkipStroke_4 shape-with-text flowDefining”> < div class=”text-content style_External_604_499″> オランダでは(オランダだけではないだろうけれど)12月25日を第一クリスマスデー、26日を第二クリスマスデーと言う。 ある統計によるとクリスマスは、最も多くのオランダ人が「自分は幸せだ」と感じる日なのだそうだ。

(C) MVRDV

MVRDV =The Cloud= (from update-NL)

  ロッテルダムを拠点に、世界を舞台に活躍する建築家集団MVRDV。 東京表参道のGYREを手がけたこともあり、日本でもすでにお馴染みの存在だ。 そんな彼らがデザインした「The Cloud」は、2015年に韓国のソウルに完成予定の複合ビル。

Anton Corbijn 「ラスト・ターゲット」を語る (from update-NL)

U2、デペッシュモード、トム・ウェイツ、ローリング・ストーンズなど、著名ミュージシャンのモノクロポートレート写真で知られるフォトグラファー、アントン・コービン。 最近では、映画監督としても活躍する氏の監督2作目、「ラスト・ターゲット」(原題「ジ・アメリカン」)は、日本でも7月2日から上映されている。 雑誌PENのため、日本での上映に先駆けて話を聞いた。 氏から話を聞くのは、これで2度目。前回は、監督デビュー作「コントロール」が完成したばかりの2007年で、その時も今回と同じデン・ハーグのホテルで待ち合わせた。 肺炎でしばらく入院していたと、少し蒼白な顔でやって来た彼。まだ本調子ではないとのことだったが、映画のこと、写真のこと、そしてデン・ハーグでの生活など、たくさんの話を聞かせてくれた。 ラスト・ターゲットとジョージ・クルーニー 「ジョージ・クルーニーが殺し屋を演じる、全米ナンバーワンのハリウッド映画」 そう聞いて、銃弾飛び交うスピーディーなアクション映画を期待した人は、意外な展開に驚いたかもしれない。 「全米ナンバーワンとはいえ、アメリカでの反応はさまざまだった。”これ、アクション映画じゃないじゃないか!!”と怒る映画館もあったらしいよ(笑)」 確かに、映画の中での銃声は数えるほどで、ほとんどのシーンは、クルーニー扮するジャックの静かな心理描写。コービンの言葉を借りれば、この映画の見どころは、ひとりの男がその人生を変えようとする姿。そしてその心の動きが、牧師と娼婦という、社会の最も対極的な存在のキーパーソンとの関係の中で展開していくところなのである。 これまでにはない暗い役柄を演じたクルーニーの起用については、「映画の中では、何もしていないジャックを何分も見せることになるので、沈黙を個性的に演じられる名優が必要だった」と説明する。自ら監督やプロデューサーでもあるクルーニーの存在は、撮影前のコービンを少々不安にもさせたらしい。「ジョージのキャリアは長く、積み重ねた経験と知識から打ち出す判断はとても適格。一方、監督の僕は、撮影現場スタッフの中で映画経験が一番少ない。心配はあったね。撮影中何度か、”自分ならこうする”と思うことがあったとジョージは言っていた。でも最終的には、”君の判断は正しかったよ”と言ってくれて、直感に頼って映画を作るっていうのも、あながち間違いではないと確信した」 一作目の成功がまぐれではなかったことを、確かめたかった コービンの第一作目「コントロール」は、今作とはあらゆる点で異なっている。モノクロで、実在した人物を描いたドキュメンタリー風のインディーズ。しかもその人物とは、コービンがオランダからロンドンへと移り住むきっかけとなった英国のロックシンガー、イアン・カーティスだ。写真と映画という大きな違いはあるにしても、その世界観は共通している。一方今作は、ハリウッド仕立てのフィクション映画。この違いを、彼はこう説明する。 「前作では、”この成功はまぐれかもしれない”という思いがあった。だからこそ今回は、音楽という慣れ親しんだフィールドから離れ、もっと深く、自分にとって映画とは何か問いかけた。そして自分には何ができるのかを見極める意味も含めて、敢えて前作とは全く異なる作風を目指した」 映画と写真 2作目の映画が完成したあと、「3作作ってみて、映画を続けるかどうか決めたい」と各方面のインタビューに答えていたので改めて聞き直してみると、「やっぱりもっと作る」と即答。「もちろん写真もね」と続けた。 「写真では、自分がどの辺まで到達できるのか予測ができる。だが、50才過ぎて始めた映画にはまだ未知の領域が多く、冒険と発見の連続。何をやるにしても、発見がなくなって、成功の法則にしたがって機械的に取り組まなければならなくなったら、僕は続けてはいけない。映画屋、写真屋になるのはごめんだ。常にイノベートを目指す。それが僕にとって創造するということだから」。 企画段階から大勢の人が関わり、チームで創り上げる映画という複雑で大規模なメディアを体験したあと、写真製作の魅力を再発見したとも言う。 「たった一人でカメラを持って世界をまわり、僕をインスパイヤーするクリエーティブな人たちと紅茶を飲み、そのあとポートレートを撮る。写真というメディアは、シンプルだ。それがどれだけ自分にあったものかということを、映画制作を通して再発見した」。 グラフィック・デザインやステージ・デザインも手がける多才なコービンの日常は、極めて多忙だ。 「いつも、やりたいことが山積みで順番を待っている。あれもこれも、と、アイディアが生まれてきて、いつもそのことばかり考えている。さすがに自分でも呆れてしまうほど、全く落ちつくことのできない日々を送っている」と苦笑する彼。すでに、3作目の映画の構造もできあがっているらしい。

孤独な葬儀 (from update-NL)

アムステルダムには、「孤独な葬儀」という詩人集団がある。芸術家であり詩人であるF・Starik(F・スターリック。写真)が2002年に創立したものだ。

Aonton Corbijn – Inwards and Onwards (from updateNL)

最近では、映画監督としても活躍しているアントン・コービン。その久しぶりの写真展「Inwards and Onwards」が6月24日から9月1日まで、Foam(アムステルダム写真美術館)で開催される。6月23日のオフィシャルオープニングには、コンスタンタイン王子夫妻も列席。大勢の関係者とメディアが集まり大盛況だった。 数週間前、彼の2作目の映画「ラスト・ターゲット」(原題:ジ・アメリカン。7月2日よりロードショー)についての話を聞くために彼に会った。その時のことは、阪急コミュニケーションズから出版されている雑誌「PEN」(7月15日発売号)の超・仕事人というページで紹介している。 「ラスト・ターゲット」のことは、別にゆっくりと紹介するとして、今回は写真展のオープニングの時の様子を少し。今回の展示は、コービンをインスパイヤーした、クリエーティブなスピリットと独自のビジョンで活躍するアーティストや著名人のポートレートを集めている。「模索しながらも、自分の写真が次の段階へ進んだと感じている」と、取材の時に語っていた。 写真は、そのオープニングの様子。

The empty chair by Maarten Baas (from updateNL)

6月6日、デン・ハーグのランゲ・フォールハウトで、中国のアーティストたちの作品を集めた展覧会「空の下のデン・ハーグ」(Den Haag onder de Hemel)がその幕を開けた。

Ameland 渡り鳥と光害3 (from updateNL)

スヒールモニクオーホ島の隣には、アーメランド島という一回り大きな島がある。 人口は約3500人。島のあちこちに広大な砂浜が広がる美しい島だ。 そして隣島と同様この島もまた、多くの渡り鳥の通過経路上にある。

schiermonnikoog 渡り鳥と光害2 (from updateNL)

毎年、約6000万羽、約120種類の渡り鳥が、北海上空を通過するという。 多くの鳥たちにとって、ワデン海周辺は大切な中継地点。 シベリアやスカンジナビア半島と越冬地のヨーロッパやアフリカとの間を渡る途中、 ワデン海の島々で休養し、栄養補給をする。

schermonnikoog 渡り鳥と光害1 (from updateNL)

オランダ国土の北部には、「ワデン諸島」と呼ばれる5つの島が並んでいる。 Schiermonnikoog島(スヒールモニクオーホ)もそのひとつ。 島の大部分が国立公園で、オランダ本土からは船で約45分。 島民以外は島に車を持ち込めない。 長さ17km、幅4km、人口約1000人。 観光が主産業の、小さな島だ。

Vincent van Gogh 4 (from update-NL)

    取材旅行を終えて 先走る想像力にブレーキをかけながら、アルル、サン・レミ、オーヴェール・シュル・オワーズ、そしてオランダのゆかりの地を巡った。 なかでも一番印象に残ったのは、終焉の地オーヴェール・シュル・オワーズだった。

Vincent van Gogh 2 (from update-NL)

900通の書簡が明かにした、ファン・ゴッホの芸術観 レオ・ヤンセン: 私を含めて3人の研究者が、フルタイムで15年間、ファン・ゴッホと交わされたもの、ファン・ゴッホについての記述がある合計900通を超える書簡を研究し、昨年全6巻の書簡全集と研究用のウェブ・サイトにまとめました。

ウィム・クロウェル

私は、デザインとアートは別世界だと考えていますこのふたつの世界は、融合させないほうがいい(ウィム・クロウェル) ウィム・クロウェル(1928~2019)は、戦後のオランダで最も重要なグラフィック・デザイナー、タイポグラファーである。 1963年、創設者のひとりとして、この国初のデザイン・プロダクション「トータル・デザイン」を設立したクロウェル。郵便局やKLMのロゴ、スキポール空港のサイネージの他、美術館のポスターデザインでも多くの名作を残した。それらの作品に共通しているのは、半世紀以上前に作られたものとは思えない斬新な輝きを放ち続けていること。今もなお、世界中のモダニストの感性を刺激し続けている。 昨年の秋に発表された「ファン・ゴッホ書簡全集」は、ゴッホ研究の集大成として話題を集めた。手紙、絵、スケッチ、そして翻訳など、多様な学術的要素が詰まった複雑な構成だが、これをわかりやすく簡潔に整理して、知的な印象のデザインを与えたのはクラウェルだった。 この本のデザインを含むこれまでの仕事のこと、そして彼のデザイン観などについて話を伺った。 読者がロジカルに情報処理するための、ルールをデザインする 以下C=クロウェル、Y=ユイ Y:ファン・ゴッホの書簡全集は、研究者たちが15年に渡る研究の集大成として出版された本ですが、デザインにはどのくらいの年月を費やしましたか? C:最初の打ち合わせから完成まで約2年半です。この本は、構成要素が多いことからタイポグラフィが非常に複雑でした。ゴッホが交わした手紙、手紙に描かれたスケッチや実際に描かれた絵画、交流のあった芸術家の作品や、彼らが第三者とやりとりした手紙。そして同時代の芸術家の作品などです。わかりやすいシステムをつくるのが、一番難しかった点です。実際に作業をする複数のデザイナーたちが、同じ条件でレイアウトをつくれるようにするルールも必要でした。絵をページに配置するのはとても感覚的な作業で、人それぞれのフィーリングで大きく左右されますからね。簡潔に、シンプルにものを見せるというのは、実はとても複雑な作業です(笑)。 Y:デザインの特徴は? C:読者がロジカルに情報処理できるようにするためのルールも、たくさんつくりました。たとえば、書簡は全て実物大で掲載。そこにスケッチが描かれていたら、その完成作品である絵画を隣ページに掲載する、などです。ゴッホは手紙の中で、自分の絵についての考えや気持ちをたくさん説明しているので、それらを完成作品と並べて見ることで理解は一層深まります。そしてひとつの書簡で触れている作品は、全て切手サイズで掲載しました。繰り返しになることは多かったですが、読者が該当する絵を、ページを前後させながら探す必要がないようにしたのです。 Y:このプロジェクトを終えて、ファン・ゴッホの全てを知り尽くしたのでは? C:知り尽くしましたね。でももうこれ以上知らなくていい(笑)。彼は、それはそれは難しい人だったでしょうね(笑)。自己中心的で。ゴッホというと情熱の画家と言う印象がありますが、実はとても計算高い人物でした。 この本は、ゴッホとの間にかわされた900以上の手紙すべてを、一文字も逃さず研究した集大成です。翻訳も非常に正確です。研究者たちも「ゴッホの書簡に関して、これ以上完成度の高い研究がなされることはないだろう」と言っていますが、まさに究極のゴッホ研究書といえるでしょうね。 システマティックなデザインが、好きだ Y:あたなはグラフィックデザインによって、煩雑で大量の情報にルールを生み出すのが得意ですよね。以前は電話帳のタイポグラフィも手がけていましたね。 C:その通り。内容が複雑で煩雑になるほどやる気が湧きましたね。フィーリング重視のタイポグラフィを好むデザイナーもいますが、私はシステマティックなものが好きです。私の資質が、そういったものに向いているのでしょうね。 仕事では、ポスターデザインや展覧会のキューレーションなどの方がメインで、このような難解なタイポグラフィの仕事はその合間に手がけていました。いい刺激になりましたね。異なるタイプの仕事は、お互いの領域を触発し合いますからね。 ポスターのデザインでも、私はまずシステムを考えていました。グリッドも好んで使いましたね。ファン・アベ美術館のポスターを継続的に手がけていた時には、展示作品から受けたインスピレーションをタイポグラフィに置き換えて表現することが多かったのですが、それらはいつも構造的で建築的でした。「LEGER」のポスターも、この画家のある時期の特徴だった黒い縁取りのようなラインからインスピレーションを得ています。 C:私は、1950年代に一世を風靡したスイスのタイポグラフィから大きな影響を受けました。システマティックなスタイルで、視認性が高く、客観的、数学的、構築的なアプローチが特徴です。特に、マックス・ビル、ヨゼフ・ミューラー・ブロックマン、エミール・ルーダーらには強い感銘を受けましたね。 スイスタイポグラフィーの代表的な書体「アクチデンツ・グロテスク」を初めて見た時には、心から感動しました。 タイポグラフィは時代によって大きく変化します。最近は、私が好んだシステマティックなスタイルは背景に押しやられていますね。今はフィーリング重視の時代です。 しかし、昔のようにひとつの時代を強烈に制覇するような大ムーブメントは生まれにくくなっているので、以前のスタイルも早い周期で戻ってくるでしょう。 このスパンの短さこそ現代の特徴です。メディアも速いスピードで多様化し、次々と新しいものが生まれていく。若いデザイナーには本当に大変な時代だと思いますよ。けれども、羨ましくもある。テクノロジーには、私もとても興味がありますからね。最先端のテクノロジーを使うのは、本当にエキサイティングなことだろうと思います。 1967年、私は当時の最先端だったデジタル植字機のための「ニュー・アルファベット」というタイプ・フェイスをデザインしました。デジタル植字機の技術の限界をコンセプトに据えてデザインした実験的なものです。同僚たちはみな、「機械の短所を補うタイプ・フェイスなんて愚かだ」と批判しましたが、このレベルの機械と今後数十年つきあっていかなければならないと考えれば、専用のタイプフェイスがあってもいいじゃないかと思いました。 デジタル植字機はうまく弧を描けないので、このタイプ・フェイスは水平、垂直、そして45度のラインだけで構成されています。そして横並び同様、縦に並べても美しく見えるように文字幅も統一しました。とは言っても、実験的なデザインでしたから、決して読みやすいものではありません。その後更に改良もしましたが、植字の技術自体が発達していったことから、「ニュー・アルファベット」が実用化されることはありませんでした。 でもこれが90年代になると再び注目を浴びはじめたんですよ。イギリスの音楽雑誌で使われたり、「ジョイ・ディビジョン」というイギリスのグループがレコードジャケットに使ったりしてね。若いモダニストたちの目には、時代遅れの機械のための文字が「クール」にうつったんです(笑)。驚きましたね。同時にとても面白い現象だと思いました。 デザインとアートは、融合しないほうがいい Y:近年、デザインとアートとの融合がひとつの論点になっていますが、それについてのあなたの意見は? C:私は、デザインとアートはまったく異なる別世界だと考えています。もちろん共通する部分はありますから、お互いを刺激しあうのは結構。しかしそれを融合させていくことには賛成できない。デザインとはある目的を達成するためのもの。そしてアートは、アーティストの存在の源で自身に問いかけながら制作していくもの。アートの分野で活躍しようとするデザイナーを見ると、「デザイン」では自分の力を出し切れないのだろうか、何か不足があるのだろうか、と疑問を感じてしまうんですよ。このことについては、私も多くの同僚たちと論議しました。反対の意見が多いことも承知していますし、それは尊重しています。でも私は、2つの世界は別々に存在している方がよいと思いますね。 Y:今はどのようなお仕事を手がけていらっしゃいますか? C:リートフェルトの本のデザインを手がけています。今年の末には発表されるでしょう。この仕事を最後に、現役を引退しようと思っていますよ、少しのんびりもしたいしね(笑)。 Y:モダニストのあなたが最後に手がけるのがリートフェルトとは、とても象徴的な気がします。完成を楽しみにしています。ありがとうございました。 portrait photo by kiyomi yui 2019年9月19日、クロウェル氏は逝去されました。この記事は、2010年4月に投稿したものです。

エリック・ケッセルス

「最近興味を持っているのは、緻密に計算された完璧なクリエーションばかりの世の中で、魅力的な間違いを探すこと。懸念していることは、社会の不寛容化」(エリック・ケッセルス) 「最近興味を持っているのは、緻密に計算された完璧なクリエーションばかりの世の中で、魅力的な間違いを探すこと。懸念していることは、社会の不寛容化」(エリック・ケッセルス)