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新聞のデザインとは

新聞のデザインとは アムステルダムの話題に特化した日刊紙Het Paroolが、2年連続で世界のベスト新聞デザイン賞を受賞した。これは、毎年アメリカの「ニュースデザイン協会」が優れたデザイン性の新聞にあたえる賞で、同紙の知的なタイポグラフィと明快な情報の階層化を高く評価。今年は、ドイツのDie ZeitとアメリカのThe New York Timesと並ぶ受賞となった。2年連続受賞という快進撃の立役者は、2016年に同紙のリニューアルデザインを手がけたポーランド人デザイナーJacek Utko(ジャチェック・ウツコ)さん。ワルシャワに拠点を置く新聞デザインのエキスパートで、世界各国の新聞を手がけている。 そんな彼に、新聞のデザインとは一体何なのかを聞いてみた。 新聞のデザインとは、コンテンツのデザインのこと 「新聞のデザインとは、単刀直入に言えば、コンテンツをデザインすること」厳格な一貫性と豊富なバリエーションの両方が求められる新聞デザインでは、種類も重要度も全く異なる多数の要素をわかりやすく階層化していくための高度なオーガナイズ能力が求められる。同時に、文字が主体であるため、タイポグラフィを熟知している必要もある。そしてウツコさんが決めたデザインのテイストやルールに従って、日々紙面を作る各紙のハウスデザイナーとうまく意思疎通するための、高いコミュニケーション能力も不可欠なスキルのひとつらしい。聞けばきくほど、感性重視のビジュアルを生み出すデザイナーとは異なる仕事であることがわかる。大学で建築を学んだという彼の構築的思考は、この特殊な仕事に向いていたのだ。 「新聞業界は、世界中どこを見ても極めて厳しい状況だ。僕のクライアントたちも皆、新しい読者の獲得に必死。デザイナーとして求められるのは、決して見栄えのいい新聞を作ることではない。既存の読者はしっかりキープし、新しい読者を獲得する紙面を作ること。そして、可読性をあげて、一面から最終ページまで、ロジカルで美しいメリハリを持った流れを生み出すこと。そのために必要なストーリーの方向性やストラテジーをアドバイスすることもまた、僕の仕事のひとつだ」言ってみれば、彼は「新聞コンサルタント」なのである。 大切にしたのは、「折衷主義」というデザインスタイル Het Paroolのデザインの特徴は、エクレクティック。折衷主義だ。「アムステルダムに相応しい新聞とは?と考えた末にたどり着いた。自由でオープンマインド、クリエイティブ、アーティスティックといったこの街のイメージを反映したスタイルだ。これを体現するために、オランダの芸術家ピート・モンドリアンの作風からインスピレーションを得た画面分割と色使いを採用した」とウツコさん。モンドリアン調のリズミカルでモダンなテイストと、古典的な趣のヘビーフォントのロゴが織りなす知的なコントラストは、斬新な印象を与える一方で昔ながらの新聞の装いも色濃く残す。これが彼が狙った折衷主義だ。ちなみに、このロゴをデザインしたスペインのデザイナーLaura Meseguerは、自身のブログの中で「Tiempos Headline BlackとQuarto Blackという2つの文字スタイルを折衷したフォントデザインについて、”基本に返ること”をコンセプトにした」と語っている。実はこのQuarto Black、なんと1570年代初頭にフランダース地方でデザインされたフォントで、以来「オランダ的なテイスト」として広く愛用されていたらしい。 ウツコさんは、紙面に「余白を残す」ことも重要なルールのひとつとした。「適度な余白があると紙面は風通しがよく見え、結果としてオープンで自由、そして現代的という印象を生む」彼が考えるアムステルダムらしさは、こんな形でも体現されていた。 21世紀の紙の新聞に必要なものとは? 21世紀の紙の新聞のあるべき姿とは?ウツコさんは、そんな問いかけを繰り返しているという。「その前に、紙の新聞に存続する意義があるかを考えてみる必要があるのだが・・」と苦笑。究極のそもそも論である。その答えはまだ出ていない。「だがひとつ明らかななのは、紙の存続を考えるならば、デジタル版との明確な区別化は必要だ。掲載情報の区別化はもちろん、見た目や、情報を読むという”体験”にもだ。だからこそ、紙の新聞には古典的なタッチを残すべきだと、私は考えている」多くの読者は、50歳以上が主流。大半が60歳以上だとも言われる中で、若い読者の獲得は各新聞社の重要な目標のひとつ。だがこの時に「若者はモダンなものが好き」というステレオタイプに陥ってはいけないと言う。「調べてみると、若者は思いのほか古典的なものを好むことが知られている。だから、紙でもデジタルでも、若者向けだからといって、むやみに目新しいガジェット的なトリックを導入してはいけない」と、無策に若者にこびる姿勢にも一石を投じる。 Het Parool週末別冊版 オランダ人は、とにかく新聞好きだ! 世界各国の新聞をデザインする中で何か気づいたことはあるかと尋ねると、「オランダ人はとても新聞が好き」という答え。そして「とても頑固で会議好き」「各問題をじっくりと検証し、着実に歩むという印象だ。その時々に全員が次々と問題点をあげてくるので、なかなか前に進まないと思うこともあるが、反面非常にクリアでわかりやすい。その真逆なのかアメリカだ。ブリーフィングはスムーズで、皆が”ファイン”、”グレート”と繰り返す。だが最後にどんでん返しがおこって多くの問題が一度に浮上してくる」もうひとつ、「オランダやドイツを始めとする北ヨーロッパや北欧の新聞媒体は元気。アメリカや東欧は苦しい」という傾向もあるらしい。「だが、全体としては、厳しい状況の中でも顕著な進化が見られる。まだまだ新聞は存続できる!」と前向きに見ている。 1940年創刊の、レジスタンス新聞Het Parool Het Paroolは、ドイツ占領下の1940年、レジスタンス新聞としてスタートした。2004年からは、タブロイド判として販売されている。アムステルダムの地方紙だが、「アムステルダムのニュースが多い全国紙」という位置づけが浸透している。ちなみにParoolとは「暗号」や「モットー」の意味。発祥の背景を彷彿させるネーミングだ。

The Frozen Fountain

The Frozen Fountain ダッチデザインが好きでアムステルダムを訪れたことがある人なら、「フローズン・ファウンテン」のことはきっと知っているはず。1992年のオープン以来、ダッチデザインの殿堂であり続けるインテリアショップの老舗だ。そのふたりのオーナーのひとり、ディック・ダンカースさんが先週亡くなったと新聞に掲載されていて驚いた。67歳。事故だったらしい。 彼の友人であるデザイナーのピート・ヘイン・エークが、スクラップウッドで棺を作るそう。ピート同様、モノを無駄にするのが嫌いだったというディックさんに相応しい棺になることだろう。まだ駆け出しだったピートの作品を真っ先に買いに来てくれたディックさんとは、かれこれ26年来の友人だったらしい。 デザインへの愛情と冒険心溢れる、インテリアショップの老舗 フローズン・ファウンテンでは、ものを売るだけではなく、新人デザイナーを発掘して発表の場を与えたり、プロダクトの企画制作も行っていた。今では世界的に知られるオランダの大御所デザイナーも、無名の時代からいち早く紹介していた。そんな風にさまざまな形でオランダデザイン界に貢献してきたオーナーさんたちと言葉を交わすたびに、「デザインに対する愛情と冒険心」こそこの店のウリだと感じた。 残されたもうひとりのオーナーであるコック・デ・ローイさんは、NRC新聞の取材に対して、ショップは存続させると話している。ふたりはこれまでも定期的に、どちらかがいなくなってしまった後のことを話し合っていたと言うが、まさかこんなにも突然その日が来るとは想像していなかったに違いない。 私が記事を書いたり写真を撮ったりという仕事を始めたのは、’90年代後半のこと。ダッチデザインが一世を風靡していた頃で、ハイス・バッカーを始め、ピートやリチャード・ハッテン、テヨ・レミ、ヘラ・ヨンゲリウスなど、オランダのデザインレーベル「ドローグ・デザイン」の旗手たちのインタビュー記事を書き続けていた。今だから白状するが、当初私にはドローグ・デザイン特有のコンセプチュアルで哲学的な「デザイン言語」がちんぷんかんぷんだった。それでも仕事のためにと一生懸命見て、読んで、(そしてファンになって)、かなりの苦行の末にようやくかたことではあるけれど、デザイナーたちと共通の言語でコミュニケートできるようになったのである。そんな私にとってこのショップは補習校のような存在で、しゅっちゅうのぞきに行っては親切なオーナーさんたちに作品を解説してもらっていた。 2005年の取材では・・・ 随分前になるけれど、ディックさんのインタビュー記事を作ったことがある。その中で彼は、「家具や雑貨なんて所詮モノにすぎないが、どうせならポジティブなスピリットのあるモノに囲まれて暮らしたいよね」と言っていた。「常に”今”を語る作品を扱っていきたい」とも語り、「”今”は刻々と変化するから、僕らのコンセプトは据え置きでいいんだ」と笑っていた。 私の仕事場には、フローズン・ファウンテンで買ったものがたくさんある。これからも、大切に使い続けよう。

世界一、市民に愛された市長

世界一市民に愛されたアムステルダム市長、エバーハード・ファン・デル・ラーンが末期癌のため辞任。市民に永遠の別れを告げる手紙を発表した。

ディア・アムステルダマース

ディア・アムステルダマース、悪いお知らせがあります 1月27日、ファン・デル・ラーン市長(1955)から市民へ宛てたオープンレターはこう始まった。肺がんが転移していて、「希望的になる理由が見当たらない」診断結果が出たという報告だった。そして責任をしっかりと果たせるように手配をしながら、「まだしばらくはみなさんの市長でいます」とあった。 ファン・デル・ラーン市長は2010年、スター的な雰囲気のあった前コーヘン市長の後任として就任。前任者のような華やかさはないものの、人々の声に公平公正に耳を傾け市民に寄り添う「父親」的な人物像で、人気と信頼を得ていた。 「アムステルダマー」とは、アムスっ子のこと。「ベルリナー」や「ニューヨーカー」と同じである。 ファン・デル・ラーンは、この街に住む全ての人々に「アムステルダマー」というアイデンティティを植え付け、育んだ。例えオランダ人ではなくても、この街で暮らし、社会と繋がる全ての人々を、親愛の念を込めて「アムステルダマー」と呼んでいた。 「ディア・アムステルダマース、悪いお知らせがあります・・」約84万人の市民に宛てたこのオープンレター、私も受取人のひとりとして心して読んだ。 (写真は、2014年のゲイパレードの会場にて。市民に混ざって、ビールを片手に見学していたファン・デル・ラーン市長)

クリエイティブディレクターが提唱する「失敗のススメ」=エリック・ケッセルス

少し前、6月15日売りのPEN「クリエーターの愛用品」特集の記事をつくるために、クリエーティブエージェンシーKesselskramerの主宰者エリック・ケッセルスから話を聞いた。今回は、その時のこぼれ話。 エリックと言えば、世界中の蚤の市や骨董品店で見つけた昔のアルバムや写真から新たな物語を紡ぎ出す達人。それらは、”USEFUL PHOTOGRAPHY”, “IN ALMOST EVRY PICTURE”など、写真集シリーズとして出版されているほか、展覧会にもなっている。最近では、「アルバムビューテー」という家族アルバムをテーマにした彼の巡回展が、宮城県塩竃で開催されていたらしい。 世間に浸透しきった価値観を疑うことなく受け入れ、おまけにそれにがんじがらめになっていると「完璧中毒症」になってしまうと言うのがエリックの持論だ。その最大の弊害は、新しい価値観や世界観を生み出さないこと。そして挙げ句の果てに「不完全」なものに対する不寛容さを増長する。 長年、「もっと失敗しようよ」と言い続けてきたエリックが、その哲学をとてもわかりやすく、しかも(ブラック)ユーモアたっぷりのシャープな表現で綴った「FAILED IT!」(PHAIDON)という本を出版した(英語)。「失敗のススメ」とも言える一冊だ。失敗は、それを嘆くかわりにインスピレーション源にし、これまでになかったユニークなものを生み出していこう!と、歴史上の偉人たちの言葉を交えて説いている。「真のクリエーションのためには、大恥をかくことだっておそれるな!」という痛快な呼びかけに、背中を押される読者も多いに違いない。日本語訳も早く出るとよいと思う。 脱!完璧中毒症 Fail to Find Inspiration アートディレクターやデザイナーなど、クリエーティブな仕事に携わる人に向けて書かれたというこの本。各チャプターは、短い文章と写真で構成されている。 例えば、「巨大な指の襲撃」というチャプターでは、カメラレンズの前に指がつきだしてしまった写真シリーズを例に、一見「失敗」と思われるものの中に新しいポテンシャルが潜在していることを説いている。スマフォやコンデジで写真を撮る時、うっかりレンズ前に指が覆い被さっていたという経験はほとんどの人にあるはず。カメラが小型化するにつれて、このリスクも上がる。大きさや肌の色、構図もさまざまなピンぼけの指の写真をずらっと並べて見ると、なんだか別次元の現実が立ち上がっているようで妙にシュールだ。 ・・・このような写真は、近年消去されることはあっても保存されることは希だ。(中略)だが、パーフェクトではない写真というものは、あとになってはじめて、あながち失敗とは言い切れないことがわかる。それは「別物」の誕生なのである。・・・ 当たり前でないものを見る時のほうが、人のファンタジーは活発に働く。見る人の内面に何も起こさないまま、そこそこの心地よさとともに通り過ぎていくようなクリエーションは、エリックにとっては「退屈」なのだ。そして、「そんな退屈なものが良いといわれる世間の価値観も疑ってかかれ」とエリックは示唆している。 この本の紹介用にもポートレートを撮らせてねと頼むと、「じゃあ、まるで何事もなかったかのような顔して本は逆さまに持たないとね」とエリック。うんうん、そうしよう!と彼のデスクがある2階へ移動。さあ、とカメラを構えて数枚撮ったところで同僚ふたりが上がってきて、カメラを構える私を見つけてびっくり!私もびっくり!題して、「驚くふたりとエリック」

Markthal Rotterdam

Markthal Rotterdam 建築の街ロッテルダムに、新たな巨大ランドマークが誕生した。「マルクトハル」という国内最大の屋内食品市場で、世界的に知られる建築事務所MVRDVが設計デザインを手掛けた。 12000平方メートルの敷地に建つ高さ40mのアイコニックな建物は、巨大なトンネル型をした複合商業施設。4000平方メートルの食糧市場、1200台分の駐車場、228戸のアパートなどが入っている。屋内市場と住宅の組み合わせは世界初だ。 プレスプレビューで館内を案内してくれた、MVRDVのウィニー・マース氏 「都市建築に求められる密集度を保ちつつも、閉塞感からの解放と十分な収益性を確保するには大きなスケールが必要だった」と説明するのは、MVRDVのウィニー・マース。街の中心にあるこの食品市場は「”食糧”とその重要性に焦点を当てて、”街”との密接な関係を提言している」と言う。その上、建築と都市とが一体であることを象徴するために、周囲の歩道と同じ石材でファサードやフロアを覆った。まさに、街の一部をデザインしたのである。 天井を覆う巨大な壁画も、色鮮やかで迫力満点だ。152cm四方のアルミパネル4500枚で構成されたこの作品は、アーティストのアルノ・クネンとイリス・ロスカムが制作したもの。馴染みのある食材がモチーフになっている。 「スノビッシュなフードコートではなく、庶民的な”食品市場”という雰囲気を維持したい」とマースは語っている。そして最重要のポイントは、とにかく美味しいショップが目白押しなこと。軒を並べるレストランやカフェも、趣向を凝らしたメニューが自慢だ。ロッテルダム観光の休憩場所としても、是非ご活用あれ! photo ©Kiyomi Yui

平均身長世界一の国で(WORLD FOOD FESTIVALにて) 

小柄って、悪いことですか?? あるデータによれば、オランダ人男性の平均身長は183センチちょっと。一方女性はほぼ170センチ。オランダ人は男女とも、平均身長の高さでは世界一だ。 私は164センチ。オランダ基準では小柄な方。夫は174センチで、オランダ人男性としてはかなり小さめ。そして息子は、クラスで一番小さい。けれども、やせ型だが非常に筋肉質で活発、病気もしない健康児である。 何年か前、息子の定期検診で保健所に行った時のこと。一通りの測定をした後に保健婦さんが、重要な知らせがあるといった面持ちで、息子の「予想成長曲線」を見せてくれた。このままでは、息子の身長は170センチそこそこしかいかないと予想される、というのだ。「主人も私も小柄なので、170センチって妥当な感じもしますけど・・・」というと、「一度ホームドクターと相談してみたら?もしかすると成長ホルモンが足りないのかも」と言われ、「いやいや、健康そのものなんだから、このままでいい」と私。それでも「いや、でも男性の平均は183センチ以上よ。彼の年代の平均はもっと高くなるはず。相談するだけしてみたら?」と押されてびっくりした経験がある(あなたたちが大きすぎるのだ・・比べられても困る・・・と思ったのをよく覚えている)・・・・・ ・・・と、ここまでは前置き。 牛乳のかわりに、ホウレンソウジュースを! 先日、9月18日から10月27日までロッテルダムで開催されているWORLD FOOD FESTIVALに行ってきた。文字通り、「食」をさまざまな角度から考察するフェスティバルだ。 「食のデザイナー」として知られるMarije Vogelzang(マライエ・フォーゲルサング)が、同フェスティバルでキューレーターとして大活躍した。「食」というテーマの周辺で活躍するデザイナーやアーティスト4人を招いて、ディベートも開催。ここでは、将来の食やその問題点、クリエーターに果たせる役割などがオープンに語りあわれた。 Arne Hendriks(アルネ・ヘンドリクス)も参加していた。とてもユニークなアーティストで、現在は「The Incredible Shrinking Man」というプロジェクト作品に取り組んでいる。この中で彼は、地球上にある資源や食糧は限られていて、70億人を超える世界人口をまかなうには到底たりない。都市では居住空間も足りない今、人間はより短身になり環境への負荷を減らす努力をするべきだと訴える。科学的なデータと創造力をユーモラスにミックスしていて、時には思わず吹き出してしまう話だったが、筋の通ったメッセージがしっかりと受け手に届く興味深いプロジェクトである。 彼はこう説明する。「なぜか現代の人は、長身なのがよいことだと感じているし、それが健康の象徴だと考えている。お母さんたちは子供に、”ほら、いっぱい牛乳飲まないと背が伸びないわよ”と言うでしょう?長身=ベターというアイディアは、子供のしつけにまで浸透している。例えばみんなが、短身のほうが環境と地球のためによく、よりサステイナブルであると考えをシフトしたら、”ほら、もっとホウレンソウジュースをいっぱい飲まないと(ホウレンソウには成長を抑制する成分が入っているそう)大きくなりすぎちゃうわよ!”と言うようになるはずだ」人の身長は、さまざまな要因によって決まる。彼の調査によると、そのうち、食べ物の影響による作用は約15%だ。 彼がスピーカーとして参加したカンファレンス「TED」の中でも、人の身長が伸びると、その容積や重量は倍増していくことを説明している。そして、必要とする資源や食糧、空間は倍々増していくのだ。 何かを大規模に変革するためには、最終的には、政治、教育、産業といったものがグローバルレベルで一丸となることが不可欠。「僕たちアーティストやデザイナーにできることは、”エリート趣味”の範疇を超えられないかも知れない。だが、それでも人々が当たり前と信じている固定概念に問いかけ続け、再考する機会をつくっていくことは意義のあることだと思う」と言う。 息子の成長障害を疑ったあの保健婦さんにも、是非この話を聞いてほしかった。 かなり前に書いた、マライエ・フォーゲルサングに関する記事↓

ヨリス・ライエンダイクの金融の話

ヨリス・ライエンダイクの金融の話 この元旦、ひじょうに興味深いドキュメンタリーを見た。 ヨリス・ライエンダイクというオランダ人ジャーナリストが案内役をつとめる、「バンカーの脳」というドキュメンタリーだ。ライエンダイクは大好きなジャーナリストの一人。アラビア語や宗教人類学を学び、しばらく中東の特派員をつとめていた。彼の著書「こうして世界は誤解する」は、日本語訳も出ている。 現在はベースをロンドンに移し、ガーディアン紙で「THE JORIS LUYENDIJK BANKINGBLOG」というユニークな金融のブログを書いている。「僕は金融経済の素人。だから読者と一緒にその世界を掘り下げていく過程をブログで紹介する」というのがコンセプト。すでに1年半書き進められているこのブログでは、金融業に携わる人々や、かつてその業界で活躍していた人々の(匿名)インタビューなどが多く紹介され、閉鎖的な業界の内情を垣間見ることのできる斬新なジャーナルとして脚光を浴びている。 番組の中では、金融業界での体験談を暴露する元バンカーの作家、かつてゴールドマン・サックスやドイチェバンクで働いていた金融業専門の脳神経学者、ロンドンでマネージャークラスのバンカーたちをクライアントとする心理カウンセラーも出演し、バンカーという特殊な”人種”やそのメンタリティー、業界カルチャーを描き出している。 先頃イギリス政府の銀行制度改革案に関する報告書を発表したイギリス議会の銀行規範委員会は、ボルカー元米FRB議長はじめ多くの証人を招待して情報を収集した。ライエンダイクも、ブログが評価されて「異なるアングルから銀行業界をみる人類学者、ジャーナリスト」として招待され、興味深い見解を述べた。 番組の中では、ロンドンの取引市場で活躍するバンカーのトップに精神病質の人の割合が高いことにも言及している。大量のテストステロンを分泌する勝負師的な体質の人に適性がある業種。仕事の形態や業界のカルチャーからその特徴は暴走し、しまいには根拠のない万能感で尋常でないリスクを伴う取引をするケースが日常茶飯事だという。ライエンダイクは、「自分が神として機能していると心から信じているトップも多い。そして世界中の人々が”この僕”になりたいと願っているという優越感を持っている」と、これまでにインタビューをしてきた人々の言葉を思い浮かべるように語った。ちょっとびっくりな見解と思ったけれど、銀行規範委員会のメンバーもこのメンタリティーには着目していて、その原因や背景についてライエンダイクの意見を求めていた。 「経済危機から5年たった今でも、その被害はまだ把握しきれていない。奇妙なのは、この危機を巻き起こした当事者たちについて、我々はほとんど何も知らないということだ。そこで、ヨリス・ライエンダイクを案内役に、世界金融の心臓部”ロンドン・シティー”を探索してみよう」という出だしで番組は始まる。 そして「法則を破るバンカーがいることは問題だ。だが最大の問題は、その法則自体にある。普通に考えれば、2008年にあれだけの世界不況を巻き起こした当事者たちは、牢獄に繋がれてしかるべき。だが誰も裁かれてはいないということは、彼らが従っている法則自体が間違っていると考えるしかない」と、業界の問題を指摘。個々のバンカーたちの「勝負」や「スリル」に対する中毒的な欲求が業界全体を動かす業界のカルチャーについては「敵を殺せば大きな報酬が得られ、その過程で間違って一般市民を殺してしまっても、”大丈夫、他の誰かがケアしてくれる”程度に考える異常な軍隊のよう。敵地一面に手榴弾をカーペットのように敷き詰めることも厭わない・・<中略>・・・地獄のないカトリシズムに似ている(銀行規範委員会のインタビューのビデオより)」とライエンダイクは強い言葉で描写する。 「精神病質のトップバンカーたちが、考えればあまりにも危険すぎるとわかっていたリスクをおかし、その結果経済が破綻した。世界中で甚大な被害を出したにもかかわらず、当事者のバンカーたちは、今でも自分の利益を追求し、スリリングな取引市場の最先端で活躍している(あるいは自殺している)・・・・」 金融音痴の私にはあまりにも衝撃的な内容だったのだが、業界の人たちはどう見ただろう?それも気になるところだ。 とにかく私は知識が乏しすぎてライエンダイクの洞察を消化しきれてはいないのだけれど、これを機会にもう少し経済について学んでみようと思う。 photo (c) studio frog

へスター財団(Stichting Hester )from update NL

ヘスター・ファン・ニーロプさんの母、アルセーネ・ファン・ニーロプさん(写真)は、2005年、「ヘスター財団」を設立した(2020年1月1日に解散)。ヘスターさん殺害から6年後にシウダース・フアレスを訪れ、同じく娘を殺害された母親に出会った直後のことである。 「心理学の本には、このような衝撃的な出来事の悲しみは、時間が解決してくれるとあります。1年経てば、悲しみは和らぎ始めて行くのだと。でもそれは間違いでした。時間は、耐えがたい悲しみを抱えた人生と、どのようにつきあえばよいかを学ぶ助けはしてくれます。しかし、悲しみそのものが薄れたり、消えて行くことは決してありません」とアルセーネさんは言う。

Anton Corbijn 「ラスト・ターゲット」を語る (from update-NL)

U2、デペッシュモード、トム・ウェイツ、ローリング・ストーンズなど、著名ミュージシャンのモノクロポートレート写真で知られるフォトグラファー、アントン・コービン。 最近では、映画監督としても活躍する氏の監督2作目、「ラスト・ターゲット」(原題「ジ・アメリカン」)は、日本でも7月2日から上映されている。 雑誌PENのため、日本での上映に先駆けて話を聞いた。 氏から話を聞くのは、これで2度目。前回は、監督デビュー作「コントロール」が完成したばかりの2007年で、その時も今回と同じデン・ハーグのホテルで待ち合わせた。 肺炎でしばらく入院していたと、少し蒼白な顔でやって来た彼。まだ本調子ではないとのことだったが、映画のこと、写真のこと、そしてデン・ハーグでの生活など、たくさんの話を聞かせてくれた。 ラスト・ターゲットとジョージ・クルーニー 「ジョージ・クルーニーが殺し屋を演じる、全米ナンバーワンのハリウッド映画」 そう聞いて、銃弾飛び交うスピーディーなアクション映画を期待した人は、意外な展開に驚いたかもしれない。 「全米ナンバーワンとはいえ、アメリカでの反応はさまざまだった。”これ、アクション映画じゃないじゃないか!!”と怒る映画館もあったらしいよ(笑)」 確かに、映画の中での銃声は数えるほどで、ほとんどのシーンは、クルーニー扮するジャックの静かな心理描写。コービンの言葉を借りれば、この映画の見どころは、ひとりの男がその人生を変えようとする姿。そしてその心の動きが、牧師と娼婦という、社会の最も対極的な存在のキーパーソンとの関係の中で展開していくところなのである。 これまでにはない暗い役柄を演じたクルーニーの起用については、「映画の中では、何もしていないジャックを何分も見せることになるので、沈黙を個性的に演じられる名優が必要だった」と説明する。自ら監督やプロデューサーでもあるクルーニーの存在は、撮影前のコービンを少々不安にもさせたらしい。「ジョージのキャリアは長く、積み重ねた経験と知識から打ち出す判断はとても適格。一方、監督の僕は、撮影現場スタッフの中で映画経験が一番少ない。心配はあったね。撮影中何度か、”自分ならこうする”と思うことがあったとジョージは言っていた。でも最終的には、”君の判断は正しかったよ”と言ってくれて、直感に頼って映画を作るっていうのも、あながち間違いではないと確信した」 一作目の成功がまぐれではなかったことを、確かめたかった コービンの第一作目「コントロール」は、今作とはあらゆる点で異なっている。モノクロで、実在した人物を描いたドキュメンタリー風のインディーズ。しかもその人物とは、コービンがオランダからロンドンへと移り住むきっかけとなった英国のロックシンガー、イアン・カーティスだ。写真と映画という大きな違いはあるにしても、その世界観は共通している。一方今作は、ハリウッド仕立てのフィクション映画。この違いを、彼はこう説明する。 「前作では、”この成功はまぐれかもしれない”という思いがあった。だからこそ今回は、音楽という慣れ親しんだフィールドから離れ、もっと深く、自分にとって映画とは何か問いかけた。そして自分には何ができるのかを見極める意味も含めて、敢えて前作とは全く異なる作風を目指した」 映画と写真 2作目の映画が完成したあと、「3作作ってみて、映画を続けるかどうか決めたい」と各方面のインタビューに答えていたので改めて聞き直してみると、「やっぱりもっと作る」と即答。「もちろん写真もね」と続けた。 「写真では、自分がどの辺まで到達できるのか予測ができる。だが、50才過ぎて始めた映画にはまだ未知の領域が多く、冒険と発見の連続。何をやるにしても、発見がなくなって、成功の法則にしたがって機械的に取り組まなければならなくなったら、僕は続けてはいけない。映画屋、写真屋になるのはごめんだ。常にイノベートを目指す。それが僕にとって創造するということだから」。 企画段階から大勢の人が関わり、チームで創り上げる映画という複雑で大規模なメディアを体験したあと、写真製作の魅力を再発見したとも言う。 「たった一人でカメラを持って世界をまわり、僕をインスパイヤーするクリエーティブな人たちと紅茶を飲み、そのあとポートレートを撮る。写真というメディアは、シンプルだ。それがどれだけ自分にあったものかということを、映画制作を通して再発見した」。 グラフィック・デザインやステージ・デザインも手がける多才なコービンの日常は、極めて多忙だ。 「いつも、やりたいことが山積みで順番を待っている。あれもこれも、と、アイディアが生まれてきて、いつもそのことばかり考えている。さすがに自分でも呆れてしまうほど、全く落ちつくことのできない日々を送っている」と苦笑する彼。すでに、3作目の映画の構造もできあがっているらしい。

孤独な葬儀 (from update-NL)

アムステルダムには、「孤独な葬儀」という詩人集団がある。芸術家であり詩人であるF・Starik(F・スターリック。写真)が2002年に創立したものだ。

Aonton Corbijn – Inwards and Onwards (from updateNL)

最近では、映画監督としても活躍しているアントン・コービン。その久しぶりの写真展「Inwards and Onwards」が6月24日から9月1日まで、Foam(アムステルダム写真美術館)で開催される。6月23日のオフィシャルオープニングには、コンスタンタイン王子夫妻も列席。大勢の関係者とメディアが集まり大盛況だった。 数週間前、彼の2作目の映画「ラスト・ターゲット」(原題:ジ・アメリカン。7月2日よりロードショー)についての話を聞くために彼に会った。その時のことは、阪急コミュニケーションズから出版されている雑誌「PEN」(7月15日発売号)の超・仕事人というページで紹介している。 「ラスト・ターゲット」のことは、別にゆっくりと紹介するとして、今回は写真展のオープニングの時の様子を少し。今回の展示は、コービンをインスパイヤーした、クリエーティブなスピリットと独自のビジョンで活躍するアーティストや著名人のポートレートを集めている。「模索しながらも、自分の写真が次の段階へ進んだと感じている」と、取材の時に語っていた。 写真は、そのオープニングの様子。

Vincent van Gogh 4 (from update-NL)

    取材旅行を終えて 先走る想像力にブレーキをかけながら、アルル、サン・レミ、オーヴェール・シュル・オワーズ、そしてオランダのゆかりの地を巡った。 なかでも一番印象に残ったのは、終焉の地オーヴェール・シュル・オワーズだった。

Vincent van Gogh 2 (from update-NL)

900通の書簡が明かにした、ファン・ゴッホの芸術観 レオ・ヤンセン: 私を含めて3人の研究者が、フルタイムで15年間、ファン・ゴッホと交わされたもの、ファン・ゴッホについての記述がある合計900通を超える書簡を研究し、昨年全6巻の書簡全集と研究用のウェブ・サイトにまとめました。

ウィム・クロウェル

私は、デザインとアートは別世界だと考えていますこのふたつの世界は、融合させないほうがいい(ウィム・クロウェル) ウィム・クロウェル(1928~2019)は、戦後のオランダで最も重要なグラフィック・デザイナー、タイポグラファーである。 1963年、創設者のひとりとして、この国初のデザイン・プロダクション「トータル・デザイン」を設立したクロウェル。郵便局やKLMのロゴ、スキポール空港のサイネージの他、美術館のポスターデザインでも多くの名作を残した。それらの作品に共通しているのは、半世紀以上前に作られたものとは思えない斬新な輝きを放ち続けていること。今もなお、世界中のモダニストの感性を刺激し続けている。 昨年の秋に発表された「ファン・ゴッホ書簡全集」は、ゴッホ研究の集大成として話題を集めた。手紙、絵、スケッチ、そして翻訳など、多様な学術的要素が詰まった複雑な構成だが、これをわかりやすく簡潔に整理して、知的な印象のデザインを与えたのはクラウェルだった。 この本のデザインを含むこれまでの仕事のこと、そして彼のデザイン観などについて話を伺った。 読者がロジカルに情報処理するための、ルールをデザインする 以下C=クロウェル、Y=ユイ Y:ファン・ゴッホの書簡全集は、研究者たちが15年に渡る研究の集大成として出版された本ですが、デザインにはどのくらいの年月を費やしましたか? C:最初の打ち合わせから完成まで約2年半です。この本は、構成要素が多いことからタイポグラフィが非常に複雑でした。ゴッホが交わした手紙、手紙に描かれたスケッチや実際に描かれた絵画、交流のあった芸術家の作品や、彼らが第三者とやりとりした手紙。そして同時代の芸術家の作品などです。わかりやすいシステムをつくるのが、一番難しかった点です。実際に作業をする複数のデザイナーたちが、同じ条件でレイアウトをつくれるようにするルールも必要でした。絵をページに配置するのはとても感覚的な作業で、人それぞれのフィーリングで大きく左右されますからね。簡潔に、シンプルにものを見せるというのは、実はとても複雑な作業です(笑)。 Y:デザインの特徴は? C:読者がロジカルに情報処理できるようにするためのルールも、たくさんつくりました。たとえば、書簡は全て実物大で掲載。そこにスケッチが描かれていたら、その完成作品である絵画を隣ページに掲載する、などです。ゴッホは手紙の中で、自分の絵についての考えや気持ちをたくさん説明しているので、それらを完成作品と並べて見ることで理解は一層深まります。そしてひとつの書簡で触れている作品は、全て切手サイズで掲載しました。繰り返しになることは多かったですが、読者が該当する絵を、ページを前後させながら探す必要がないようにしたのです。 Y:このプロジェクトを終えて、ファン・ゴッホの全てを知り尽くしたのでは? C:知り尽くしましたね。でももうこれ以上知らなくていい(笑)。彼は、それはそれは難しい人だったでしょうね(笑)。自己中心的で。ゴッホというと情熱の画家と言う印象がありますが、実はとても計算高い人物でした。 この本は、ゴッホとの間にかわされた900以上の手紙すべてを、一文字も逃さず研究した集大成です。翻訳も非常に正確です。研究者たちも「ゴッホの書簡に関して、これ以上完成度の高い研究がなされることはないだろう」と言っていますが、まさに究極のゴッホ研究書といえるでしょうね。 システマティックなデザインが、好きだ Y:あたなはグラフィックデザインによって、煩雑で大量の情報にルールを生み出すのが得意ですよね。以前は電話帳のタイポグラフィも手がけていましたね。 C:その通り。内容が複雑で煩雑になるほどやる気が湧きましたね。フィーリング重視のタイポグラフィを好むデザイナーもいますが、私はシステマティックなものが好きです。私の資質が、そういったものに向いているのでしょうね。 仕事では、ポスターデザインや展覧会のキューレーションなどの方がメインで、このような難解なタイポグラフィの仕事はその合間に手がけていました。いい刺激になりましたね。異なるタイプの仕事は、お互いの領域を触発し合いますからね。 ポスターのデザインでも、私はまずシステムを考えていました。グリッドも好んで使いましたね。ファン・アベ美術館のポスターを継続的に手がけていた時には、展示作品から受けたインスピレーションをタイポグラフィに置き換えて表現することが多かったのですが、それらはいつも構造的で建築的でした。「LEGER」のポスターも、この画家のある時期の特徴だった黒い縁取りのようなラインからインスピレーションを得ています。 C:私は、1950年代に一世を風靡したスイスのタイポグラフィから大きな影響を受けました。システマティックなスタイルで、視認性が高く、客観的、数学的、構築的なアプローチが特徴です。特に、マックス・ビル、ヨゼフ・ミューラー・ブロックマン、エミール・ルーダーらには強い感銘を受けましたね。 スイスタイポグラフィーの代表的な書体「アクチデンツ・グロテスク」を初めて見た時には、心から感動しました。 タイポグラフィは時代によって大きく変化します。最近は、私が好んだシステマティックなスタイルは背景に押しやられていますね。今はフィーリング重視の時代です。 しかし、昔のようにひとつの時代を強烈に制覇するような大ムーブメントは生まれにくくなっているので、以前のスタイルも早い周期で戻ってくるでしょう。 このスパンの短さこそ現代の特徴です。メディアも速いスピードで多様化し、次々と新しいものが生まれていく。若いデザイナーには本当に大変な時代だと思いますよ。けれども、羨ましくもある。テクノロジーには、私もとても興味がありますからね。最先端のテクノロジーを使うのは、本当にエキサイティングなことだろうと思います。 1967年、私は当時の最先端だったデジタル植字機のための「ニュー・アルファベット」というタイプ・フェイスをデザインしました。デジタル植字機の技術の限界をコンセプトに据えてデザインした実験的なものです。同僚たちはみな、「機械の短所を補うタイプ・フェイスなんて愚かだ」と批判しましたが、このレベルの機械と今後数十年つきあっていかなければならないと考えれば、専用のタイプフェイスがあってもいいじゃないかと思いました。 デジタル植字機はうまく弧を描けないので、このタイプ・フェイスは水平、垂直、そして45度のラインだけで構成されています。そして横並び同様、縦に並べても美しく見えるように文字幅も統一しました。とは言っても、実験的なデザインでしたから、決して読みやすいものではありません。その後更に改良もしましたが、植字の技術自体が発達していったことから、「ニュー・アルファベット」が実用化されることはありませんでした。 でもこれが90年代になると再び注目を浴びはじめたんですよ。イギリスの音楽雑誌で使われたり、「ジョイ・ディビジョン」というイギリスのグループがレコードジャケットに使ったりしてね。若いモダニストたちの目には、時代遅れの機械のための文字が「クール」にうつったんです(笑)。驚きましたね。同時にとても面白い現象だと思いました。 デザインとアートは、融合しないほうがいい Y:近年、デザインとアートとの融合がひとつの論点になっていますが、それについてのあなたの意見は? C:私は、デザインとアートはまったく異なる別世界だと考えています。もちろん共通する部分はありますから、お互いを刺激しあうのは結構。しかしそれを融合させていくことには賛成できない。デザインとはある目的を達成するためのもの。そしてアートは、アーティストの存在の源で自身に問いかけながら制作していくもの。アートの分野で活躍しようとするデザイナーを見ると、「デザイン」では自分の力を出し切れないのだろうか、何か不足があるのだろうか、と疑問を感じてしまうんですよ。このことについては、私も多くの同僚たちと論議しました。反対の意見が多いことも承知していますし、それは尊重しています。でも私は、2つの世界は別々に存在している方がよいと思いますね。 Y:今はどのようなお仕事を手がけていらっしゃいますか? C:リートフェルトの本のデザインを手がけています。今年の末には発表されるでしょう。この仕事を最後に、現役を引退しようと思っていますよ、少しのんびりもしたいしね(笑)。 Y:モダニストのあなたが最後に手がけるのがリートフェルトとは、とても象徴的な気がします。完成を楽しみにしています。ありがとうございました。 portrait photo by kiyomi yui 2019年9月19日、クロウェル氏は逝去されました。この記事は、2010年4月に投稿したものです。